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続「癒し」や「預言」など聖霊の働きは使徒時代だけのもの?!という間違った風潮について2

※この記事は、クリスチャン中級・上級者向けの内容となります。

「日本にリバイバルが来る」と声高に叫んだ自称預言者や使徒と共に熱狂した人々の傷

少し過去を振り返ってみよう。
かつて「これから日本にリバイバルが始まる」と公言した人々がいた。
彼らの預言を信じて裏切られたと、苦い思いを口にする人が今もいる。
日本の救いに心砕いて祈って来た日本のクリスチャンたちの中には、当時の聖霊派やペンテコステ系のムーブメントに乗ってしまった痛い過去が傷になった人もいるかも知れない。
癒しを売りにした韓国系カルト教会による多くの小児レイプ事件も、現代の癒しの働きに対する懐疑的姿勢に拍車を掛けたかも知れない。
また、近年一般人相手に占いのような個人的預言を行う団体もあり「神への侮辱だ」と憤慨する先生方もいる。

それでも、どんなに偽物が横行する時代でも、キリストに救われた者が聖霊の働きを自分たちの解釈で小さく限定して良いとはならない。
それこそは神の働きに対する侮辱と言える。
私自身強烈な「預言の働き」を実体験した証しを持つため、これを記す責任があると感じて記事を作成している。
現代にも真実な預言活動があることを知って頂きたい。
(当時のミニストリーは個人の働きであり、どこの教会団体ともリンクしていません)

「3.11大震災」を警告された、預言の働き


2007年から私は40日間の断食に自然と入り、主から預言を与えられた。

『近い将来日本に来る大地震について警告せよ
日本が苦しい時代が来る。日本の悔い改めを祈れ

さらに主から毎日御告げを受け、聖霊の導きの下で記事を作成しネット上で公開し断食の祈りを積んだーというのが当時のミニストリーの概要である。
(詳細については、いずれ有料記事で書く予定)

あのような働きは人に出来るものではない、と断言できる。
これまでの信仰人生で最も決定的な神の証しであり、何一つ私の力や能力で成し得たものはない。

どんな信仰深い体力のある人が、水だけで40日元気に過ごせるだろうか。
どんな知恵と知識に満たされた人が、数年後に起こる大地震を予測して
「マグニチュード8.9は下らない。」
「地震より津波が心配である。」
等と言い切れるだろうか。さらに津波被害の具体的地域まで。

悪霊とコンタクトしている占い師も時には予言が当たるだろう。
むろんAIには語れるかもしれない。人口地震説で言えば計画した者が予測することは可能だろう。
しかし専門家でもない、ただの人の私に何が分かるだろうか。
ひとつ大事なのは、神の預言の働きは当たる当たらないではなく、その時は理解出来ずとも、いかに忠実に神のみ旨に従い語るか、この一点に尽きる。

結果、忘れえない「3.11東日本大震災」を通して、我が神が全知全能の主であることを思い知らされた。

万物を治める力ある真の神でなければ、愛ゆえに身を持って人間すべての罪を贖った神イエスキリストでなければ、「日本の悔い改めのために祈れ」
などと40日に渡って迫る存在は他にはない。
それほど神は日本を愛されている。
この実体験があるから、はっきり言える。

預言は現代にもある。
特に国の存亡に関わる大きな艱難が差し迫っている時、愛と正義に満ちた神イエスキリストは、小さな者を用いてでも前もって警告を与えて下さる。

なぜ聖書に精通したオーソリティたちが盲目なのか。
聖書にはっきりとこう書いているではないか。

「愛を追い求めなさい。また、御霊の賜物、特に預言することを熱心に求めなさい。」(Ⅰコリント14:1)

その通り私は預言を熱心に求め、そして与えられた。
この聖句はとても重要だ。
さらにどんなに優れた賜物も、愛にはかなわないという真実がある。
これからは毎日愛する心をイエス様に与えて頂こうと求めている。

多くの預言者はいつも時代の中枢から迫害されて来た事実

実のところ神の真の働きを迫害するのは、いつも同業者だ。
聖書時代から変わらない構造がここにある。
預言の働きをしていた当時、迫害して来たのは誰か。
未信者でも有識者でもない。キリスト教界の中のとある人々だ。
彼らが当時公言していた「日本はこれから祝福の時代」とは真逆の私の預言
「日本に苦しい時代が来る」はいかにも不快だったのだろう。
混乱の霊に取り付かれているなどと悪霊呼ばわりされた。
これは牧師権威を悪用した教会で行われる常套じょうとう手段で、彼らの教えに合わない聖徒を「悪霊扱い」して教会から追い出す悪質な嫌がらせはその代表例だ。
近年わずか1%しかいない日本のクリスチャン人口を思うと、こうした虐めで散らされた羊たちを思い悲しみで心が塞ぐ。
イエスの奇跡を「悪霊呼ばわりした」当時の宗教指導者たちが思い浮かぶ。

厄介なので当時の働きに関して、この10年間私はずっと口をつぐんでいた。
その後、時々礼拝に行く教会においても、信者と話す機会があっても。
しかし神はネット上の動画を見た私を義憤で満たし、再び記事を書く思いを与えられた。

祈り:主よ。今神の召しを見出せずに消耗している方々に、大きな慰めが注がれますように。神の愛で聖化されますように。賜物を熱心に求め、隣人の救いに用いられますように。もっと自由に聖霊が働かれるよう、神の偉大さを喜んで味わう信仰で私たちを満たして下さい。

「わたしを拒み、わたしの言うことを受け入れない者には、その人をさばくものがあります。わたしが話したことばが、終わりの日にその人をさばくのです。」(ヨハネの福音書12:48)

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