私は風

平成時代の初期

のころ、空前のF1ブームでした。

その当時、昭和シェルというガソリン販売会社のCMで

使われていたのが、SHOW-YAの「私は嵐」


なんて、かっこいいお姉さんなんだろうと感激していました。

(このころ、寺田さんと浜田麻里さんは女性ロックの二大巨頭でした。森高千里さんはシンガーソングアイドル?)

すると、ボーカルの寺田恵子さん曰く、

この歌は

カルメン・マキさんという歌手の「私は風」という歌をリスペクトして

作られたということ。

カルメン・マキさんは、「時には母のない子のように」

は知っていましたが、「私は風」はぜんぜん知りませんでした。

その後、ラジオかなにかで、ようやく、「私は風」を聞けることとなりました!

うわー、こちらもカッコいい!!!


カルメンと言ったら、ピンクレディーの歌のカルメン77しか知らない私は、

ズドンと撃ち抜かれました。

すると、こちらのカルメン・マキさんは

アメリカのジャニス・ジョップリンさんをリスペクトされていました。

そして、ジャニス・ジョップリンは27歳で亡くなられており、

ジミ・ヘンドリックス、ジム・モリスン、

ローリングストーンズのブライアンジョーンズも、27歳で亡くなられていると知るのでした。

みんな名前に“J”の字がついていました。

20代前半の頃なんて、毎晩、飲んでいたし

若さにかまけて、だらけきった生活でしたので、

自分も27歳まで大丈夫かなあってソワソワしていましたね。苦笑

90年代に入って、ニルヴァーナのカートコバーンが27歳で自殺…。

(そんな私は、今では、27歳の壁を通り超えて

今では、安全運転で、献血のスコアが楽しみの健康オタクです。)

まあ、そんなこんなで、

20代前半の私は洋楽やら古いロックのルーツに傾倒していったのでした。


お待たせしました。

ようやくF1です。

F1レースは、89年に鈴鹿サーキットまで見に行きましたよ。

当時、石川県金沢に住んでいたので、金沢から鈴鹿までバスツアーでした。

どこのチームが好きという事もなく、

流行っていたから、記念に見に行ったというところです。

マクラーレン・ホンダのセナとプロストのチーム内の不仲を

目の前で見てしまいました。

しかし、なにかのルールで、ベネトンのナニーニが棚ボタで優勝するという番狂わせでした。

サーキットの中のガソリンとタイヤのゴムの焼けるニオイ。

きらびやかなアドバルーン。

クオオオーンって甲高いフェラーリのV12サウンド。

きれいなハイレグのキャンギャルのお姉さんがた。笑

あの頃は、バブリーでした。




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