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強引グ マイウェイ

モノの価値、人の存在理由は誰が決めるのだろう。音楽なんかは特に一昔前は、オリコンのランキングが全てで、圏外の順位だとテレビで取り上げられることもなく消えていく。はたから見ている一般の人々にはそう目に映っていたことだろう。

だが、考えてみればおかしな話である。

そもそも、どの曲にも作った者の想いがあり、伝えたいことがあり、目指したものの結晶が作品となるはずなのに、本来それぞれが違った魅力を持っていて響く相手も違うことなんか当たり前のはずなのに、"売れた枚数"が全てを決めること自体私はナンセンスだと思っている。

SNSや動画サイトなどいいねやリポストの数など、"誰が見ても分かる"優劣の基準のみで判断すること自体そもそもおかしな話なのだ。
例えば、とても心に沁みるバラードがあったとする。誰もが聴けば涙を流すような名曲だとしても、"なぜその曲がその人の心に響くのか"は、その人にしか分からない事であり、それを寄せ集めて一括りにするなんておかしな話だとは思わないだろうか。

昔は、よほどメディアへの露出を積極的に行うアーティストでない限りその人間性までは伝わらず、ミステリアスなイメージが憧れとなっていた時代もあった。だが、今はYouTubeやXやinstagramなど、自己表現の場は多岐に渡り、その人間性と楽曲の魅力によって人気を獲得していく世の中だ。
もちろん、スポンサーの後押しやレーベルの方針によって作品の魅力のみで勝負することもあるだろう。

トップ5に位置しているからその5曲が日本で最も優れた5曲で、100位だからそれより劣っていると感じるのは、そもそも順位をつける形式が一般的であるから生じる意識であり、例え100位の曲であっても誰かの人生を支える一曲であるはずなのだ。

メディアに取り上げられなければ、順位が上でなければ、それは価値がないというのなら、今現在1位に輝いているアーティストも、1位を獲るまでの作品は全て駄作ということになってしまう。

そんな訳がない。

音楽を志してその一歩を踏み出したその時から、目の前の作品に全てをかけて作ってきたから、人の目に留まるまで諦めずに作り続け、表現し続けたからこそその名誉に輝いているはずだ。
たしかに、何枚売れたか、商業的価値だって大切な時もある、たしかにそれだって大切な価値観の一つではあるが、ひとやモノの価値を決めるものはそれだけではないことを忘れてはいけない。

自分は、自分の作品は順位が低いから、どうにかして先駆者を蹴落としてスターの座に踊り出ようなとど考えるのは自分と自分の作品に自信と誇りがない奴が考えること。
自分の良さも他人の良さもそれぞれが素晴らしいモノで、本当にいいものをいいと言えない輩など、誰かに評価してもらう資格すらない、と私は思っている。本来はいいものを作ることは自分対自分、または届けたい誰かの為に磨いていくもののはずなのに、自分が誰かより優れていると思われたいが為に作品に臨むのはそれはもはやアーティストですらない。

ホンモノのアーティストとは、目の前の作品に己の全てを賭けられる者のことを言うのだと私は思っている。

自分より先に行っている者をうらやましく憧れることを否定しているのではない。例え自分より知名度があってテレビに引っ張り凧なアーティストと同じ道を歩めなかったとしても、その道程を仮に真似したとしても、自分はその人になれるわけではない。
だが。逆を言えば、今あなたが大地を踏みしめて立っているその場所は、誰も冒すことの出来ない唯一無二のものであるはずなのだ。

売れているアーティストも、あらかじめ用意された道を辿っていたら偶然売れた、なんてことは絶対ない。誰かの真似事で進んだ道には先んじた者が立っており、その人以上になることは出来ない。

同じ道を辿れず、スポットライトも当たらないかもしれない。

だが、道がなければ、スポットライトが当たらなければ前へ進めないのか。一歩を踏み出す事はできないのか。違うと思う。
前へ進むかどうかは、自分が誰かより優れていると評されているから決めることではないだろう。成したいこと、伝えたいもの、辿り着きたい場所があるからここまで来た筈ではないのか。誰かより遅れていたら、あなたは前へ進めないのだろうか、進歩できないのだろうか。

忘れるな、ではない。忘れて欲しくないのだ。

今をときめくアーティストは、そこに道があったから、たまたま陽の当たる場所を見つけたから今の地位にいるのではない。

道はなくとも草をかき分け、日の目を見なくても自分の信念を曲げず、一心不乱に"自分の良さ"を磨いてきたからこそホンモノになったはずだ。
誰かに推されたから、何かに取り上げられたから、確かにその機会に恵まれるかどうかも運命の分かれ道なのかもしれない。
だが絶対に、そこまで自分の足で歩まず努力を惜しんでいたらその分岐点にすら立つことすら出来ない。

推されてスポットライトを浴びた時、自分の良さを信じて己れの進んできた道を疑わず邁進したから輝ける。少なくとも私はそう信じている。

躓きながらでも、転びながらでも、泥だらけでみっともなくても己が道を征け。その姿は決してみっともなくなんかない、泥水の味を知っている人にしか泥水に塗れた人の心は掬えないし、救えない。輝く人だけではない、挫けても立ち上がるその姿に人は憧れるのだ。

照らされなければ自ら輝けるまで磨き続けよう。磨いてついた傷は誰も真似することができないあなただけの勲章だ。

自分しか立てないその人生を諦めなかったやつだけがその頂で笑えるのだから。

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