湖中の女 レイモンド・チャンドラー 清水俊二訳

なんとも後味の悪い話。湖に浮かぶ死体で話の幕が開き、犯人のひとりが、車ごと崖から落下し「一人の男であったもの」となるシーンで幕が下ろされる。読み進めてきた読者にしてみれば、必然ではあるし、結末としては、予測がつくのだけれど、最後のシーンでのある種の突き放されかたに、どうにもやりきれず、ページを閉じざるをえない、といった感じだろうか。いくつかの死がえがかれているが、最後の死が、圧倒的にそれを見届けた登場人物や読者に迫ってくる。映画「セブン」のラストシーンみたいだな。いつもの「マーロウもの」のように、登場人物の相関関係は複雑だし、今回割と丁寧に再読したのだけれど、正直まだ、把握しきれていない。初めて読んだのは、恐らく5~6年前、恥ずかしいことに、ほとんど記憶に残っていない。まだまだ、チャンドラーの面白さを感じとることもできなかったのだろうな、と推察する。前半のマーロウがリトル・フォーン湖を訪れるあたりのシーンがかろうじて、記憶にある程度だから。女性に翻弄されて、その運命に絡め取られていく様、そしてある種の悲劇をひきおこし、滅んでゆく様、朽ちていく様。「マーロウもの」にはこの手の話が多いように思う。これが、チャンドラー自身の経験や女性観にもとづくものなのか、それはわからないけれど。そのさまをマーロウは特段、感情を(少なくとも我々読者には)、一片も見せずに、依頼主の依頼事項のみに従い、そして我々読者の前に、淡々と提示していく。まさにハードボイルド。「湖中」では、運命に絡め取られた男の死を持って、強制的に物語の幕を下ろす。もし、死を選ばずに、男が生き続けることになったならば。その男はどのように生きながらえていくのか、そしてマーロウはその事に対して、どのように処していくのか、チャンドラーはそのように考えたのかもしれない。まったくの仮説だけれど。でも、そのように考えると「長いお別れ」が書かれることになる道筋が見えてくるようにも思える。テリー・レノックスは、その後のデガーモなのかもしれない。もちろん直接的なつながりということではなく。揺るぎないハードボイルドであるが、少なくとも二度。マーロウが綻ぶ。マーロウが依頼主へ調査経過を伝え、それについて、ひとしきり議論が交わされた後。「頭からおさえつけているつもりはないんだよ」と彼は、いった。私は心の底から笑って、さよならをいって、電話をきった。もう一箇所は?是非、探してみてください。(2013年2月)

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