PLAYBACK2019_5月23日道都大-北翔大_補説(攻守交替論)


■忘れたくない大事な試合

「守備からリズムをつくる」たとえば、チームの特長を伝えるときに用いられることなども多い常套句。この常套句を思い出しながらもこの常套句に収めきれない何事かを感じた試合として5・23の道都大-北翔大の一戦は記憶に強く残っている。具体的には「守備からリズム」という表現から想起されるある種静的なイメージを根本から揺さぶる「動的、攻め込んでいく守り」とでも呼ぶべき状態があり、さらには「リズム」という柔らかなイメージではなくムーブとかドライブと云った言葉を用いたくなるような、勢いを守備側が生み出すことができるんだということを見せつけてくれた試合として。この試合、各局面において、鍵を握る選手が何人も登場するのだが、その中でも、とりわけ重要度が高い部類のひとりといえるのが道都大の小野寺投手である。同点・逆転への流れを生み加速させたピッチングでそう思わせてくれたことは本稿を是非読んでいただきたいのだが、その小野寺投手の姿をきっかけにして「攻守交替論」みたいなことを自分なりに整理しておこうと考えたのがこの補足説明を残す主旨。小野寺投手自らが語った「醍醐味」とは恐らく少し異なる角度だとは思うのだが、一素人観戦者として「野球の醍醐味」を深く感じ、どのような点が忘れたくない大事な試合のひとつとなっているのかということを記しておきたいと思う。

■ボールを持っている側にこそ主導権がある

「ボールを持っている側にこそ主導権がある」「最後まで攻める気持ちで投げた」など、たとえば僅差を守り抜いて最終的に勝利したときのチームの監督や選手のコメントで何度か耳にしたことがある。これらのコメントは「受け身に回らないようにつとめた」とか「気持ちで負けないように」といった主に精神面に比重が置かれたところからのコメントと考えていたが、この一戦の振り返ってみると、あながち、そうとも言い切れず、もっと実際的な何事かを伴う言葉なのではないかと思えてくる。主導権・攻める気持ち、つまりは攻撃を行う側の気持ちで守るということを言っているのだと思うのだが、ここを掘り下げる為に、そもそも「攻撃」にはどういった要件があるのかというあたりから掘り始めてみたい。掘り下げるにあたり、野球と野球以外の球技を対象として「攻撃」の要件を比較してみて、野球において「攻守交代論」が成立するのか?という仮説を検証していきたいと思う。

■攻撃の要件・その1:ボールの保持

まず、野球以外の多くの球技は、攻撃側がボールを保有する場合が大半であると思う。ボールの保持を継続して、然るべきゴールにボールを到達させることで得点が計上される。一方のボール非保持側はボールを奪うことで攻撃側に転じることができる。ところが、野球の場合は逆だ。ボールをまず守備側が保持した状態からプレーは開始される。守備側はボールを一旦リリース(投球)した後もボールを保持することでアウトカウントを積み重ね、その結果として攻撃に転じることができる。攻撃側は守備側にボールを保持させない状態を作ることを是とし、守備側がボール(打球)を処理する間に定められた塁間を走破して本塁へ帰還することで得点を奪うことを企図する。つまり、野球における攻撃の要件は守備側にボールを保持させない状態を作ること、と言えるのかもしれない。

■攻撃の要件・その2:ルール上の優遇

また、野球以外の多くの球技においては攻撃側に有利となるように規則が定められているという見方がある。一例であるが、現代のラグビーにおいては攻撃側が反則を犯すことなくボールの保持を継続して前進を続ければ、原則としてトライに至るルール設計であるといわれている。なぜそのようなルールになっているのか、答えは恐らくシンプルだ。得点がより多く入った方がゲームとして面白いからだ(これは主に「観戦者」の視点によるものかもしれないが)。

■攻撃側の要件を再度、確認してみる

以上、野球以外の多くの球技においての「攻撃」要件として「ボールの保持」「ルール上の優遇」を仮定してみた。それでは、この仮定を野球に当てはめてみるとどうなるであろうか。まず、野球における「攻撃側」はボールの保持を前提としていないことは先に書いた通り、むしろボールの保持を続けたいのは守備側である。次にルール上の優遇についてはどうか。「守備側」はボール球を3球まで投げることが許容されている(ボール4球目で打者に出塁権が与えられる)ことに対して「攻撃側」は3回の機会損失で攻撃権が失効する~ストライク3つで三振、アウト3つでイニング終了~ことでもわかる通り「攻撃側」には「ルール上の優遇」が施されていないようにも思える。

■守備側が攻撃側に豹変する?

こうして、野球以外の多くの球技における<攻撃側>の要件を野球に当てはめてみると、ちょっとしたパラダイム変化の感覚に陥る。つまり、野球において、一般的に「守り、守備」と呼ばれている側が、実は野球以外の多くの球技における<攻撃側>の要件を満たしているように思えてくる。野球以外の球技における攻撃側要件を野球に適用して攻守の再定義をするという眺め方自体がこじつけなので、野球と他の球技では、攻守が入れ替わるのかと言われると、そう単純ではないであろうが、少なくとも、野球における「守備側」が野球以外の多くの球技の<攻撃側>の側面を色濃くもっているという仮説は成立するのではないかと思う。

■<攻撃側>の叫び

たしか20年秋の北翔大か大谷大だったと思う。自軍攻撃中にベンチから打席内の打者に対して「攻めているのはこっちなんだ!」と叫びにも似た声が掛けられていたのは。好機を迎え打席に入っているにも関わらず、投手をはじめとした守備側の圧に押され、萎縮している味方を鼓舞する声。無条件に攻撃側として優位に立てているのであれば、このような掛け声が出てくる筈もない。あえてこうして味方の気持ちをリセットしなければならないのは、相手投手との相対的な関係などによっては攻守が逆転してしまうことがあるからなのかもしれない。

■逆転を呼び込んだ「攻・投」

ずいぶんとくどく書いた。攻守入れ替わりの必然性みたいなことの理由付けを試みたのだが、こんな作業、実は本来的には、ほぼ必要のない廻り道であって、要はとにかく気迫に溢れた投球が敗色濃厚のチームに浮上する力を吹き込み、さらには勝ち越す原動力になった、その様を目撃したということを記録しておきたいだけなのだ。ここまで書いてきた流れと敢えて整合性を保つのであれば、攻めの投球「攻・投」が同点・逆転を呼び込んだということである。

■対照的だった両チーム

二節4戦目までの経過自体がまず対照的だった。一節を首位で折り返したところまでは順調であったが二節に入り1勝2敗と失速の影がよぎり始めた北翔大に対して、一節に2敗したものの、その後復調傾向に戻りつつあるように見えた道都大。そして本前投手にすべてを託し11回までマウンドを預けた北翔大と5人の継投で粘って勝機を掴んだ道都大。野手陣についても北翔大は延長戦突入後も交代選手を送り込むことはなかったが、道都大は勝負所で代打、代走の投入とカードを切って(ベンチ入り25人中19人を投入)、最終的に本前投手を攻略した。

道都大は本前投手に一節は4安打完封負け。二節の9回ようやく3点を奪ったものの、17イニングを無得点に封じられていた。才能に溢れ、巧みなステップとパスワークでゲームを支配するスタンドオフさながらの本前投手に対して道都大は泥臭くも足元へのタックルを繰り返し続けたことで、ノーサイド寸前にターンオーバー成功、唯一とも言える得点機を逃さずトライを取り切ったイメージ。

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