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大いなる眠り レイモンド・チャンドラー 双葉十三郎訳

■BOOKOFFで創元推理文庫版を発見

BOOKOFFで創元推理文庫版を発見。しかも100円コーナー。掘り出しものだ。双葉十三郎訳。NHKの土曜ドラマで「ロング・グッドバイ」が始まるというタイミングとも重なり、チャンドラー再読キャンペーンを開始しようかと思いたつ。1939年に発表されたという処女作。読み進めながら、この話のどのあたりが「大いなる眠り」なのだろう?と筋を追いかけつつ、ぼんやりと考えながらページを繰る。作品のタイトルが重要な情報やメッセージであるとは限らない。タイトルに特別な意味合いを発見しようとする試みも、
読み手の勝手な所作に過ぎないのかもしれない。そのことを承知で一応メモをしておことう思う。

■下賤な存在

「死んだあと、どこへ埋められようと、当人の知ったことではない。きたない溜桶の中だろうと、高い丘の上の大理石の塔の中だろうと、当人は気づかない。君は死んでしまった。大いなる眠りをむさぼっているのだ。そんなことでわずらわされるわけがない。油でも水でも、君にとっては空気や風と同じことだ。君は大いなる眠りをむさぼっているのだ。どうして死に、どこにたおれたか、などと下賤なことは気にかけずに眠るのだ。が、私はどうだ。下賤な存在の一部みたいなものだ。ラスティ・リーガン以上に下賤な存在だ。が、老人がそうなってはいけない。彼は、天蓋つきのベッドに静かに横たわり、血の気のない手をシーツの上にのせて、待っているのだ。彼の心臓は弱い。不確かな音をたてている。思考は遺骨のように灰色だ。そして、もうじき、ラスティ・リーガンと同じように、大いなる眠りに入るのだ。」これはマーロウの独白であり、彼はこの中で自身を「下賤な存在」と言い放つ。<大いなる眠りに入る>ものや<長いお別れ>を告げ去っていくものを見つめるマーロウをえがくことで生と死の対峙を、静かに、とても雄弁に私たちに語りかけてくるようだ。そして、下賤な存在であろうとも自らを偽らずに生きるということを。一方で、自らを偽らずに生きるということは、所詮ファンタジーに過ぎないという反論もこうして書きながら、容易に生まれてくる。このあたりについては、稿を改めて、書き進めたいと思う。

■醜悪なもののありありとした描かれ方が秀逸

死をまもなく迎えるスターンウッド将軍の姿や、将軍の先代が財をなした油田のえもいわれぬ風景や雰囲気、ただならぬ気配をただよわせるガイガーの部屋。それらの奇怪な様が生き生きと~矛盾する言い方になるが、ときには美しさに転換しているとまでいいたくなるように~描かれる。これは、チャンドラー(マーロウ)独特の反語的な視点によるものなのか。はたまた、醜悪すぎることを嫌悪することからの倒錯なのか。

「私は玄関の階段に立ち、たばこの煙を吸い込み、手入れの届いた樹木と花園にそってずっと続いているテラスを見下ろした。向こうには地所を囲う高い鉄柵がめぐらされていた。鉄柵の先には金色のやりがついていた。シャドウが、土くずれを防ぐ低い土手の間を鉄の門へくねっていた。鉄柵の向こうにはゆるやかな丘の傾斜が五、六マイルもつづいていた。その傾斜のはるかかなたの低い場所に油田の古い木櫓が、二つ三つ見えた。スターンウッドは、この油田で金をもうけたのだ。現在、油田の大部分は公園になっていた。仕事の跡をきれいに片づけ、スターンウッド将軍の名で市に寄付されたのだ。が、一部はまだ残され、一日五、六バレルを採油している。丘の上に移転したスターンウッド邸は、腐りかけた水や石油の臭気を、もうかがないですんだが、正面の窓から自分たちを金持ちにしてくれた場所をながめることができた。ただし、ながめたければだが、私には、彼らがながめたがるとは思えなかった。」

嫌悪する対象があると想定した場合、その対象に中には「スターンウッド家の血」も含まれているようだ。血、そして家族。それはマーロウにとって最も遠くにある(遠ざけている)ものごとのひとつのはずだ。けれども、毎度のことのように、彼をそれをほっておけずに、何事かの渦中ににじりよっていく。(血と家族について触れられる箇所を見つからない、どこかにあったのだが。これは別稿にまわそう)

「・・・表面に出ないいろいろなことがあるのかもしれない。ちょっと見ただけで、私はそれをかぎ出すのがおもしろいように思えた。」
「いまのところ一番スマートなては、もう一杯ひっかけて全部を忘れることだ。そのてに限ると思った私は、電話でエディ・マーズを呼び出し、話があるから今夜ラス・オリンダスへ参上つかまつるぜと言った。まさに私のスマートなところだ。」
「腐った金具だの材木だのがころがっていて、見るからにおどろおどろしき場所だったから、・・・・とにかく不気味な場所だ」

上記の引用に対して、本当は少々説明が必要なことは承知なのだが、一旦ポンと置いておこう。もしこの私のレビュー(らしきもの)を読んで、実際に本を手に取ろう、もしくは再読しようという方が一人でも現れたなら本当に嬉しいし、その方が読後、引用箇所を通過した後に「なるほど」と感じていただけるのか、「ちょっとよくわからんな」でも良いし、いづれにせよ、何らか感想を抱いていただけるのならば、幸いである。

■欲しくもなければ、関わりたくもないもの

毎度のことながら、マーロウが「そんなものは探していない」と言うものを、次から次へと人が現れては「本当は探しているんじゃないか?」と詰問していく。詰問する側の理由は様々であるが、どうであれマーロウは探してはいない。欲しくもないもの、関わりたくもないもの、それらを「欲するべきもの、もとめ探すべきべきもの」なのだといった風に人々はマーロウに詰めよる。このあたりの押し引き加減は、まさに私の日常にも通底するやりとりであり、強い共感を持ってしまう。いろんな人がやってきて、それぞれの立場立場でマーロウに御説をまくしたて、ときには皮肉交じりにほめてみたり、ときには罵声を浴びせ、そして去っていく。そして最後にはマーロウだけが残る。勝手に事件が起こり、そしてドタバタの末に、いつしか事件は幕をおろす。生業であるから、依頼主と彼の信条に従い、行動は起こすものの、基本的に嵐は彼の外で起きてることばかりだ。けれども、なぜか彼が「能動的かつ主体的に動くべきもの」であるか如く周囲の人々は彼に何事かを求める。繰り返しになるが、本来的にマーロウはそんなことを一切欲してもいないし、関わりたくもない筈なのだが。

「僕だって好きでやってるんじゃありませんが、ほかにすることがないからしかたがない。僕は事件をひきうける。つまり生活のために売るべきものを売っているわけです。神様からちょうだいしたちょいとばかりの勇気と知恵と、依頼人を保護しようと歩きまわる熱心さ、それだけですよ。」

■全体を暗示するかのような一節

<入口の扉の向こうには、ステンド・グラスがあった。何も着ていないがうまいぐあいに長い髪の毛を持った貴婦人が、木にしばりつけられ、それを黒っぽい鎧を着た騎士が助けようとしている絵だ。騎士は礼儀正しくも兜の面頬をどけ、貴婦人をしばっている縄の結び目をいじっているが、どうも処置なしらしい。私はその場に立って、もし私がこの邸に住んでいたら、おそかれ早かれ登って行って騎士殿に助け舟をだしてやろうと、と思った。まるっきり、縄をほどこうとしているように見えないのだ。> なんてことのない毎度の皮肉屋なマーロウのつぶやきだろうと読み飛ばしてしまいそうだが、これがストーリー全体の暗示になっているのだ。カーメンとは通算二度、 ヴィヴィアンとは一度、ステンド・グラスで描かれたような事態に陥る。そこで、マーロウは、<スターン・ウッドの娘は、姉妹そろって私にコナをかける気だ。>と嘆く。物語の終盤近く 、マーロウの独白。<ステンド・グラスの騎士はまだ裸の令嬢を木からほどけないで困っていた。>そして、はじめて邸を訪れたときと何ら変わらない玄関広間や執事の様子を観察する一方で<歳月の重さを感じているのはこの私だ。>と再び嘆く



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