02 女の海溝 トネ・ミルンの青春 森本貞子
■”函館の女”と聞いて胸に走る閃光
『夫の、いぶかしげな顔つきとは裏腹に、私はミルン夫人が ”函館の女(ルビ:ひと)”と聞いて、胸に閃光が走るのを感じた。心の底で強く響き合うものがあったからである。『私は長い年月、秘かに函館生まれの女たち、とりわけ幕末から明治初期生まれの老女を巡って想い溜めていたことがあった。東京と函館とを往復するうちに思い当たった、いわば女の生活感情に根ざしたものであった。函館の老女たちの、なにげない日常茶飯事の習慣や嗜好のみならず、物の考え方や感じかたに、内地の女たちと大きな差があるのに気付いていたのである。私はミルン夫妻が結ばれた裏には、男と女との平凡な出会いを越えるエピソードが隠されているのではないのか、と思った。』
■ミルン夫人の足跡を辿りたい
『私はトネ夫人のことを知ってから六年のあいだ、いつかきっと、函館に眠るジョン・ミルン、トネ・ミルン夫妻の墓を訪ねて津軽の海を渡りたい、と思い続けていた。(中略)ミルン夫妻の墓参に津軽の海を渡る、それのみに留まらず、幕末から明治維新にかけての日本の歴史の移り変わりの激しい流れのなかで、トネ夫人が、この蝦夷の箱舘という開港都市の寺の娘として、どのような関わりあいのもとに生まれ、どのように育まれて、お雇い外国人、地震学者ジョン・ミルンと結ばれるようになったのかー函館の歴史を弁えながら、女の目でミルン夫人の足跡を辿りたい、と願い続けていたのだった。』
以上がプロローグの内容を大まかに把握する為に必要と思われる箇所の抜き書きである。著者夫妻と函館との関りやジョン・ミルンの地震学者としての側面にふれている箇所もあるのだが、本稿のテーマと深く関わる事項では無いため、一旦割愛している。今後整理を進めていく中で必要が生じた場合は、あらためて抜き書きを行うようにしようと思う。