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北海道での大学野球の始まり_その2

さて、本日は前回に引き続き「北海道での大学野球の始まり」その2回目です。このお題「北海道での大学野球の始まり」と銘打って始めたものの、今回の内容は<今日の札幌学生野球連盟・札六に至る道のりを辿る>という言い方が、正しいのかもしれませんが、今後アウトサイドリポート(札六ラジオ)で取り上げていきたい話題を放り込めるテーマとして間口を少しだけ広くしておきたいと考えているので、一旦、この括りで進めたいと思います。

■「始まり」その後

それでは、前回お話した、1952年(昭和30年)北海道地区大学野球連盟の発足、そして全日本大学野球選手権大会に北海道として単独の出場枠を得て北海学園大が初出場を果たした1955年(昭和30年)の第4回大会以降、現在の札六の姿となるまでの歩みをご一緒しましょう。

■前回のおさらい

まず、前回のおさらいからですが、連盟発足後の昭和30年代、40年代は、トーナメント形式で大会が運営されていたことは前回お伝えした通りです。春に全道大学野球選手権大会、そして秋には新人戦が行われていました。昭和45年からは秋の明治神宮大会の開催に伴い、秋はその予選が行われる格好になりました。

■ふたつの大きな転換点

さて、この歩みを時系列で丁寧に追っていくと、それはそれで、とても長くなるので、一旦、ここでは現在の札六へ至るふたつの大きな転換点に焦点を絞り、お話を進めたいと思います。

■ひとつめの転換点=リーグ戦導入

1976年(昭和51年)秋からのリーグ戦導入です。当時の空気感を伝える為に、北海学園大硬式野球部のホームページにある文章を引用したいと思います。

<リーグ戦時代の幕開け>昭和51年8月31日、北海道の学生野球は新しく生まれ変わった。これまでのトーナメントの大会を発展的に解消、リーグ戦に改めた。今回から1部(6校)、2部(12校)制を導入し、春、秋の王座を決める。北海道六大学野球の開幕である。

トーナメントでの開催時にも過渡期的な措置で札幌・小樽ブロック予選が行われてはいましたが、全道規模でのリーグ戦導入へ移行を果たしたのが、この1976年(昭和51年)秋の転換点です。

■ふたつめの転換点=地区連の分割

そしていよいよ、今日の札六の直接的な原点となるふたつめの転換点が訪れます。ここについては『野球と市民』から当時の状況を紹介したいと思います。

そうこうしているうちに大学選手権への代表校数を増やすという問題が出てきた。これは関西大学野球連合など、実力がありながら代表校数が少ない地区から強く出てきた声らしいが、北海道もチーム数は多いのでこの機会に代表校数を増やそうというわけで、北海道地区大学野球連盟(地区連)を二つに分けて傘下に置き、それぞれのリーグ戦をしようという機運が高まった。紆余曲折はあったが結局はそれが実現し、地区連が「札幌学生野球連盟」(札幌市とその近郊に所在する十二大学チームからなる連盟)と「北海道学生野球連盟」(その他の地区の十二大学チームからなる連盟)に分かれたのが平成二年秋である。前者のうちの一部リーグを「札幌六大学リーグ」後者のうちの一部リーグを「北海道六大学リーグ」と現在*(引用者注:2000年時点)は呼んでいる。(太字箇所は引用者)『野球と市民』札幌市教育委員会編、引用箇所執筆は沼田久さんによるもの)

■現在の札六の形へ至る

その後、1993年(平成5年)までは5試合制、1994年(平成6年)春から10試合制へ移行して現在の札六の姿へ。翌年1995年(平成7年)春から全日本大学野球選手権大会へそれぞれの連盟からの代表出場が認められて現在に至ります。このように1952年の連盟発足から2度の大きな転換点、そして1995年までの43年の歳月を経て、今の札六の形に至ったというのが、大きな流れとなります。

■「あたりまえ」の「あたりまえでなさ」

こうした歩みを辿ると、現在の10試合制、そして春の神宮大会の北海道2校という枠が、あたりまえのようにあるわけではないということをあらためて感じますし、おおげさに言えば、この道のりの上に今の札六があるのだということをちゃんと胸に留めて、目の前の1試合、1球1球に集中して、そして心を込めて、眺めるべきだと想いを新たにせざるをえません。

■「いままで」と「これから」

最後に今後掘り起こすテーマを挙げておきたいと思います。ひとつは「いままで」のこと。各年代での所属チームの変遷、それに絡んで記録しておきたい過去の試合などを整理したいと考えています。もうひとつは「これから」のこと、何のためのこれからか?それは北海道の大学が日本のてっぺんを取るために北海道全体でどう切磋琢磨していくのか?というお題に対しの「これから」です。社会人野球では大昭和北海道が、高校野球では駒大苫小牧そして札幌大谷がそれぞれ日本の頂点に立っています。間のカテゴリーである大学は2017年秋の神宮大会での道都大準優勝が現在のところの最高成績、これを越えて新たな歴史を作るために、過酷な環境を笑い飛ばしながら札六・道六がうまく混ざって前へ進めために、自分なりに何ができるのか?そのことを考えたいと思っています。

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