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脱出1986

 
 
(プロローグ)
  遡ること7年前。まだ短大生一年。下宿の自室。6時のニュースを観ながら、夕食を食べていた私。
『日本とオーストラリアの間で、ワーキング・ホリデー・ビザが開始されることが決定しました‥‥。』
 聞くや否や、食べている場合ではない。ボールペンを取り、その辺にあった紙にメモをした。(これだ、これを使って、日本を出よう。それも最長1年いられる!)その夜は、ただその事だけ考え、よく眠れなかった。
 朝が明けて、学校へ‥‥まさかぁ!学校とは逆方向にある、オーストラリア大使館へGO。ちゃんとした情報を手に入れたかった。何を準備すれば良いのか、どういう手順をを取るのか、何歳から行けるのか…とにかく、全てを明らかにしておきたかった。遅れて学校へ。ランチタイムに、貰ってきた資料を読み漁る。分かった。頭の中で、これからの予定は決まった。学校を卒業したら、働きお金を貯め、25歳になったら日本を脱出。決定!!

 とても小さい時から、違う国の人達に興味があった。幼稚園では、週に1度イングリッシュ・クラスがあって、日本人の先生と時々白人の宣教師の方が来て、英語を教えてくれた。初めて覚えた単語は’エレファント’。かわいい、優しい目をした大きな象が好きだった私、誰よりも大きな声で元気よく“エレファント”と叫んだ。家業の関係で、海外からの人が行ったり来たりすることもあった。キャッキャッ言いながら、しゃしゃり出ていくのが、私のお仕事。仕事の閑散期には、お上りさんで東京へ。デパートでショッピングの時、海外の人を見つけると、ス~っと母の手を解き、ヌ~っと白人の近くに行き、二~っと笑う。“ハ~イ”と言って、大きな掌で、頭を撫でて貰えるのが心地よかった。

 8つ年上の姉が、英語を習い始め、’兼高かおる・世界の旅'を観始め、ビートルズの世界的爆人気もてつだい、テレビには、異国の顔・顔・顔。家の中では英語の歌が流れる。聞いたまま、デタラメ英語で歌っていた。
 小学生になると、’世界の子供たち’と言うテレビ番組を観始め、頭のどこかで(いつかこう言う所に行くんだぁ~)と勝手に思う。小学校の卒業文集には『将来は外国で暮らしたい』とか書いている。世界地図も書き込んだりして。 

 高校1年生の時、両親にアメリカへの留学の自己談判をして、あえなく却下された。
「あなたを一人でやったら、絶対遊ぶからダメ!行きたかったら、自分のお金で行きなさい。」お母様、あなたは正しい。貴女の娘は確かにそういう子だ。
 この言葉が、私の心に火を点けた、ボッ!(お金を貯めて、行ってやる!)ただ、その日から日本を発つまでの約10年、ずっと英会話を勉強していた。日本人教師2人、アメリカ人教師1人にお世話していただいた。
 
 
(シドニー生活開始)
 1986年6月、オーストラリアの地に到着。うす寒い日だった。
「ハーイ、タン。よく来たわね。フライト、どうだった?」
「マミさん、お久しぶりです。揺れなかったけど、疲れたわぁ~。」
この1年半、連絡を取り続けていたマミさんが、キングス・フォード・スミス空港へ迎えに来ていた。マミさんは、私の日本のお友達の旧友。私がオーストラリアへ行きたい旨を、友達に伝えたら、紹介してくれた人が、マミさん。1年半前、この国へ1週間の一人旅。本当にこの国で良いのか確かめに来た時、初めて会って数日一緒に過ごし、その後この日まで、電話や手紙で連絡を取っていた。
 無事マミさんとも合流。マミさんの一人娘ティアちゃんも一緒に来てくれた。タクシーに乗り、マミさんの住んでいるフラットへ。これがなかなかショッキングのコンパクトさ。日が当たらない、いつも暗いフラット。ベッドルーム2部屋、シャワー、トイレ、キッチン、ラウンジ。このコンパクトな2部屋のフラットに、大人3人(マミさん、フィービー、テレ)子供2人(ティア、ジム)が住んでいる。そこに、私が転がり込んだ。マミさんとティアのベッドルームを私が使い、彼らはラウンジで寝る。テレ家族は、三人で一部屋。まさか、地球の裏側まで来ていて、この状況が待っているとは思わなかった。何をどうしたって、何も変わらない。まぁ、ここは考えよう。何事も経験だ。

 運よく歩いて5分ぐらいの所に、充実した商店街があるので、一人で歩き回ることができた。街に慣れるのに、とても良い立地条件。マミさんやフィービーと、食品を仕入れ、二人にオーストラリア流のクッキングやキッチンの使い方を教えてもらう。日中、家にいるのは私だけ。商店街で闊歩し、テレビを観まくり、掛かってくる電話に出まくる。とにかく、オーストラリアの英語に耳を鳴らすのに徹した。バタバタしている中、マミさんがシドニーの中心地へ連れて行ってくれた。いわゆる’シドニー’と聞いて、ほとんどの人が思い描くその場所である。都会だ。初めての電車。チケットの買い方も分かった。日豪プレスと言う日系の新聞の存在を知る。
 日豪プレスは強い味方。とにかく今のようにインターネットなんかない、まだまだ超アナログの時代。日豪プレスを、端から端まで読み、情報を仕入れる。仕事も探さなければ。出来たら持ってきたお金をあまり減らしたくない。そんな時、マミさんからお誘い。
「私の働いている、マレーシアン・チャイニーズ系の鉄板焼きレストランで、人が足りないんだけど、やってみない?」(んーー、何もやらないより、良いか。)と思い、二つ返事で引き受けた。
 次の週から仕事が始まる。ジョニーと言うマレーシアン・チャイニーズのマネージャーが、お店を仕切っている。日本人は私を入れて5人。2人はシェフ、3人はホール・スタッフ。あとはオーストラリア人1人、チャイニーズ系6人ほど。女の子は、安っぽい着物を着せられてサーブをする。スタッフミールも付くし、働いている人達はみんな良い人たち。それなりに楽しんでできる仕事である。ただ、住んでいるフラットからの距離が遠い。ゆうに一時間ぐらい掛かってしまう。ディナーの仕事が入ると、帰るのが一苦労だ。電車の本数は少なくなるし、治安も良いとは言えない。まぁ、フラットが駅から徒歩5分圏内だったことだけは、救われた。(マミさん、良くもまぁこんな仕事しているなぁ…楽しくはあるが、長く続ける仕事ではないなぁ…。)と心の中でつぶやく。

 マミさんは、ほぼシングルマザー状態。(旦那は、どこかでガールフレンドと暮らしている。)朝、ティアを保育園にドロップした後、シドニーの街中のカフェで働き、夜は鉄板焼きレストランで働く。ディナーの仕事がない時は、カフェの仕事の後、保育園へ娘をピックアップに行く。ディナーの仕事がある時は、フィービーかテレが、保育園のピックアップをする。テレの息子も9歳なので、子供を二人だけで家に置いておくというのは、御法度。大人の誰かが常に、3時ぐらいまでには家に帰って、そのあと子供の面倒をみなければいけない。そして私も、その頭数に加わった。
 
 海外に行ったら、ちょっとラグジュアリーに、のんびりと暮らしたいなんて、もう出来ない。初めの1か月弱でこの状態である。慣れる前に、慣らされた感が多い。マミさんのディナーのシフトが、私に回ってきたような状態。休みの日には、昼はのんびりだが、3時から子供たちの面倒をみて、夕食を作り始める。さすがに、この状況は、イヤだ!オーストラリア滞在中、これが1年続くことは、阻止しなければ。そんな時、神妙な顔をしたマミさんに、相談事を頼まれた。
「今の状況は良くないと思うの。特に子供にとって、今の暮らし方は良くないのよねぇ。出来たら引っ越しをしたい、と思ってるの?」
「あっ、良いですよ。そうしましょう。で、どこへ?どこか候補はあるの?」
「え~~~~っ、良いの?!」
「良いですよ。探しましょう。思い立った時が、’しどき’ですよ。休みの日合わせて、探しましょう。お金はあるんですか?」
「契約金の半分貸してほしい。いい?」
「良いですよ。私来たばかりだから、お金は大丈夫。貸します。私がいる間の一年間で、返してください。」
 この日から、それぞれリアルエステイト(不動産屋さん)のガラスに貼ってある物件をあさったり、新聞に載る物件を目を凝らして見る。色々な状況を考えると、今のフラットの徒歩圏内が良いのだが、なかなか見つからない。マミさんの提案で、バスでちょっと行った海沿いの地区も見ることにした。海まで1ブロックの所にあるバス停に降り立った。(ここだ。空気の匂いが違う。潮風の匂い。)二人とも同じことを思っていた。海のある街で育った者が持つ、感性・安心感。
「ここだね。」マミさんが言う。私が頷く。
 バス停近くのリアルエステイトに入り、物件の事を尋ねる。すごい!!2ブロック離れた所に、3ベッドルームの物件があって、気持ち予算オーバーだが、私もちゃんと仕事をし始めたら、楽勝だ。担当の方が即、物件へ歩いて連れて行ってくれた。海まで1ブロック、明るく開放的なラウンジとキッチン、ルーミーな3ベッドルーム、大きなバルコニー、シャワー2つ、バスタブ1つ、トイレ2つ、ランドリールームも付いている。即日決定、即日契約成立。二人で、海の見えるレストランに寄って、祝杯を交わす。
 
(本腰仕事探し)
 6月初めにシドニー着いてからの1ヵ月半ほど、何て慌ただしい日々だっただろう。さすがに色んな事が怒涛のように押し寄せると、知らない内に異国の生活に慣れていく。マミさん、ティアちゃんと共に、大きな、明るいフラットへの引っ越しも済む。(気分は最高!!)
 が・・・カーテンが無い。代わりに色鮮やかなラバラバをピンで留める。(サロングとも言う)3人でキングサイズ・マットレス1枚。夜は3人で、マットレスを縦に使って、川の字で寝る。(3人ともコンパクト)ラウンジには小っちゃいコーヒーテーブルだけ。テレビを観ていると、家具がなさ過ぎて、音響効果最高。(ただ響くだけだ)唯一ちゃんとしているのがダイニングテーブル。これは助かった、卑屈になることなく、食事を楽しめる。洗濯機無し。小さい物はバスルームのシンクで、大きい物はバスタブで洗う。冷蔵庫無し。冬に引っ越しているので、取り合えず冷やした方が良い物は、窓際に置く。そんな生活をしていたら、ティアの具合悪くなった。アチャー・・・牛乳にあたった。マミさんは激怒。実は彼女、別居中の旦那に、冷蔵庫と洗濯機の調達を頼んでいた。(娘の為に)引っ越しの日も告げ、その日に持って来る予定になっていた。(予定は未定、決定するべきだった)すぐに電話で抗議、2日も経たず、洗濯機と一緒に持って来た。(あ~これで、人並みな生活ができるわぁ~・・安堵)
 
 この引っ越しで、レストランまでの距離が伸び、下手したら時間は、30分余計に掛かるようになる。フラットの契約金を半分、肩代わりして貸してしまった。絶対にもっと割の良い仕事を見つけねば。それにオーストラリアに来る前に決めた事が、2つある。

なにがなんでもサバイブすること!
生まれてから25年日本で生きてきた、次の25年海外で暮らす為のコネクションを見つけること!

 ここでお世話になるのが、日豪プレス。求人募集も載っているし、多数の企業・会社が広告を出している。当たれる所は片っ端からやってみよう。ただ私のやり方は、少々人と違う。まず当たるのは、大手の会社である。上から攻める。下から攻めると、結構早く結果が出てしまったりする。それではいけないのである。日豪プレスを見ると、どーーんと広告を張っているではないか!’免税店’!!アメリカ系の大手である。(その頃、日本人の海外旅行の目的地として、オーストラリアはポピュラーな場所の一つで、特に新婚さんのツアーの多い時代。)

 当たって砕けろだ。ある日、一人でシドニーの中心にあるアメリカ系の免税店に行ってみた。街のほぼど真ん中にある免税店。中に入る、なぜか目に付くのは、アジア系の店員。どこから見ても日本人の店員に・・・
「ハロー。ハウ アー ユー?」と声を掛けられる。(分かる。私の見た目である。顔の作りが少々派手、こちらは分かっても、あちらは私を日本人と思っていない。よくある。)
「あのー、仕事を見つけに来たのですが、どなたかお話しできる方いらっしゃいますか?」訛りのない見事なスタンダード・ジャパニーズで聞いてみる。
「あっ、すみません。日本人の方だったんですね。分かりました。ちょっと待って頂いて良いですか?」と言って奥へ消えていく。2-3分待って・・・
「こちらへどうぞ。」とショップの中にある小さな部屋へ通され、マネージャーを待っている間、渡されたアプリケーション・フォームを記入するよう言われる。
10分ぐらいしただろうか、マネージャーが現れる。ショップ内を通り抜け、奥の静かなエリアの部屋の一室に通される。(なんだ、これは?面接かぁ??こんなにすぐ?!準備してきてないし~)頭が少々混乱している私の事は横に置いといて、面接は始まってしまった。
「ハーイ、マネージャーのアルです。隣に座っているのは、マサ。」チャラそうなマネージャーと人当たりの優しそうな中年の日本人。3人の共通語、英語で全てが進んでいく。
「ハーイ、タンです。初めまして。」
「いつ、こちらに着きました?」
「2ヵ月ほど前です。」
「今までにお店で働いたことありますか?」
「はい。学生の時に、東京・銀座のデパートでパートをしていました。その時、通訳も少々。」
「あとはどんな仕事?」
「アメリカ系会社のセキュレタリー。そのあと地元のインフォメーション・センターで日本人、海外のお客様のお世話をしていました。」
「アー、だから、英語がここまで出来るんだね。」と、二人が話し始める。次に出た言葉に驚いた・・・
「採用するよ。いつから来られるかな?」(はぁ、マジ?!これだけでOK ?!ゆるゆる~)
「じゃ、来週の月曜日から。」という事で、大手アメリカ系免税店での仕事獲得。この縁をこれから25年のコネクションに出来るかどうかは、私次第。大きな一歩。

 数日経ち、その月曜日がやってきた。潮の匂いを感じながら、バス停に並び、20分ほどで駅に着き、電車に乗り換え、最寄りの駅に着いたら、徒歩で目指せ免税店。先ずは、ユニフォームを貰い、着替える。バディーと一緒にショップ内へ。私の紹介、商品の説明を兼ねて、店内を歩き回る。
「今日から始まった、タンさん。よろしくお願いしますね。何かあったら助けてあげて。」
一人一人に、時々2-3人一緒に、私を紹介する。それが一通り終えると、お酒コーナーへ。みんな初めは、お酒コーナーで仕事を覚える。お酒の種類、値段、日本円への換算の仕方、セールになっている物、ティル(日本で言うレジ)の使い方。初めの一週間ぐらい、ベテランさんのバディーが、付かず離れず、仕事を教えてくれる。その後は、『さーどうぞ、仕事をやってみてください。』とばかり背中を押され、この時から、本格的に仕事が始まる。

 午前中は、比較的平和である。お客さんはまばら。サービスカウンターや棚の掃除。ストックを出す。時には、ディスプレイを変えたりする。話しをしながらしていても、別に問題はない。そんなゆるゆるの午前中にも、ちゃんとモーニング・ティーの時間がある。順番を決め、次々とティー・ブレイクに入っていく。15分ぐらいなので、結構せわしない。飲み物を自分で作り、お喋りをしていたら、あっと言う間に終わってしまう。(時間厳守)
 しかし、ランチを過ぎると、もうシッチャカメッチャカ。団体のツアーが、次から次へと、それも日本人ばかり、ほとんどが新婚さん。これでもかと言うくらい、来店する。戦争である。お酒コーナーは、タバコ類も扱っている。男性たちが群がる。まだまだ喫煙者が多い頃の話である。日本人観光客は、免税ぎりぎりで、お酒とたばこを買っていく。1人1人さばいていくしかない。会計をしている目の前のお客さんにも、声を張ってサーブする。人込みの中の仕事なので、しょうがない。お客さん側も、動くのが大変だが、カウンターの中は、ぎゅうぎゅう詰めである。狭い通路に、他のセクションからヘルプが入って来ているので、スタッフ数がいつもの倍になっている。商品の番号の書いてあるドケット(レシート)を袋に付け、後ろに置いておく。ボンド(梱包をするセクション)の人たちがそれを取りに来る。お酒とたばこ類は、ボンドの方で在庫管理をしているので、そちらで梱包される。ほかのセクションに関しては、実物を袋に入れドケットを付け、ティルの後ろに置く。2時間弱はこういった光景が続く。副マネージャーのマサさんは、カウンターに入りサーブをし、ショップ・マネージャーのアルも、ショップに出てボンドの仕事を手伝っている。時と場合によっては、オフィスで働いているローカルのお姉ちゃん達も、ヘルプで入ってくる。
ハ~疲れる。お客さんが引けたと同時に、アフタヌーン・ティーに順に入って行く。(イギリス系のお国柄、絶対忘れないティータイム)

 2-3週間経って、慣れてきた頃を見計らって、行きたいセクションを聞かれる。私のリクエストは、お酒コーナーの隣にある、化粧品売り場。シャネル、ディオール、ジバンシー、レブロン、イブ・サン・ローラン等のスキンケア、メイクアップ、フラグランスがダーッと並んでいる。良い香りのするセクションだ。実は、前から働いている人から、情報を貰っていた。『セクションは選べるから、好きな物を売っていた方が良いわよ。』化粧品、楽しいではないか。お酒コーナーの隣だから、化粧品を見ている女性客に、出来る限りサーブして、売っていた。時々、化粧品売り場にいるものだから、売り場のマネージャーも気に掛けてくれるようになり、商品に関しての質問をしたら、教えてもらえる。’好きですよ~’をアピールしていた結果である。問題なく、化粧品売り場へ移動が決まる。

 化粧品売り場でストックを整頓していると、日本人の男の人が近寄って来た。
「日本の方ですか?」
「そうですけど。」
「静岡の方?」
「はい…」(なんか怖い)
「高校は、○○高校?」
「はい…」(ウソ、やばすぎ~)
「嫁さんが、あなたを知っているようなんです。」(は~ぁ?)
と分かると、奥さんを呼び寄せる。なんと奥さん、私より2つ上で、高校の先輩。尚且つお仕事をしている会社が、私の父の商売と関係しているとの事。でも、なんで私の顔までバレてんの?(聞くのもバカバカしい)確かに小・中・高と、良い事をしても、悪い事をしても、隠れても、外見ゆえに面が割れてしまうタイプではあった。高校卒業時に、母曰く、人が100%お化粧するところを、あなたは30%に抑えなさい。未だに守っております、お母様。
 日本を脱出した理由の一つに、家のしがらみも面倒臭かったというのもある。でも、まさかここまで、そのしがらみが追ってくるとは思っていなかった。地球上、どこに行っても、悪い事は出来ないものである。丁度いい歯止めになっている。 
 
(ノーティー仲間)
 一緒に働いている人達の中で、気の合う人達も出来てきた。一緒に食事に出かけたり、パーティーに誘ったり、誘われたり。まぁ、日本人を中心に、韓国人が仲間に入ってくる。お隣の国の出身で、唐辛子の有無の違いぐらいで、食べ物の味も似ているとなると、お互い付き合いやすいのだ。その中でも、波長の合う人間を、4人見つけた。
 カミちゃん、アコちゃん、クロちゃん、そして黒一点のツー君。カミちゃんとアコちゃんは、時計セクション。クロちゃんはバッグセクション。ツー君はボンド・ボーイ。
 あちこちのセクションに顔を出して、話をしたり、扱っている商品に興味があったので、時計セクションにも寄っていた。とってもお高い腕時計が、キラキラ・ギラギラしながらガラス・ショーケースの中に並んでいる。カミちゃんとアコちゃんは、そのショーケースと時計たちを、何度も何度も柔らかい布で拭いている。うまーく時間が合うと、お試しに腕にはめてみることができる。お試しだけだったら、タダである。金無垢のローレックスで、文字の所にダイアが入っているモデル。何万ドルかする品物である。それを試してみるのだ。ウッとと金の重みが手首にかかる。なんとも気持ちの良いものだ。金属の冷たさを感じることはない。派手なギラギラ感ではなく、重厚な鈍い金の輝くがある。素敵、でも似合ってない。これが似合う年齢は、いくつぐらいなのだろう…。がっかりしながら、時計を返すと、カミちゃんが柔らかい布で拭き始める。

「お客様、お試し料は$500。」
「有る時払いの、催促無しでよろしくお願いいたします。」

そうすると、アコちゃんが違った時計を、もう片方の腕にはめてくれる。なかなか出来ない高価なおもちゃを使ってのお遊びだ。

 クロちゃんは、バッグセクション。初めお店で会ったのではない。私がいつも使っているバス停で、彼女に会った。アジア系があまり住んでいない地区なので、目に付きやすい。見てすぐ日本人だと分かったので、私の方から声を掛けてみた。
「こんにちは。日本の方ですよね。」
「日本の方だったんですね。こんにちは。」
「この近くに住んでらっしゃるの?」
「はい、そこの道を4ブロックほど行った所で、ホームステイしています。」
「学生さんなの?」
「違います。ワーホリ。」
「じゃ、同じじゃん!」
同じストリートに住んでいて、同じワーホリ。話しをしている内に、同じお店で仕事が決まっているとのこと。この時から、シフトが一緒の時は、ほぼ同じ時間のバスに乗って、お店まで一緒に通うことになる。

 黒一点のツー君は、大阪出身のチャラいやつ。ダーウィンからシドニーまで、バイクで南下して来た男。ボンド・ボーイをしている。お客さんのかった商品を、店内から裏の作業部屋に持っていき、袋や箱にきれいに梱包をしている。まぁ、100%男のセクションで、下ネタばかりしながら仕事をしている輩たちの集団。用があって、ボンド・ルームに入れば、何かしら冗談のネタにされる。私は、だいたいそれにお応えしていた。社に構えて物事を見るタイプ、一言言われる三言は返していたので、みんな楽しんでくれていたようだ。その中で、一番馴れ馴れし懐いて来たのが、ツー君。
 店内のあちこちに置いてある袋を取りに来た時、化粧品のカウンターに寄って来て、私に顔を寄せ…

「知ってる?(民さんは野菊のようだ)…あっ、違った。タンさんは野糞のようだ。」とのたまわった。
「なーに、バーカ言ってんの。あんたその野糞踏んづけたわよ。いつまでも張り付いてやるから。」
ハーーハッ、ハッと笑いながら、ボンド・ルームへ消えて行った。でも、ちゃんと伊藤左千夫著の'野菊の墓’を知っているなんて、大したもんだ。
 
誰かの家でパーティーがあると言えば、5人で一緒に出掛け。ディスコに行く時は、ボーイフレンド・ガールフレンド厳禁。それぞれ現場で夜を楽しむ相手を見つける。美味しい韓国料理屋があると分かれば、韓国人のボンド・ボーイに声を掛け、6人で食べに行き。あの有名なオックスフォード・ストリートの色んな香水の混ざくりあったゲイバーに、突撃する。疲れ切って、夜のビーチで汐風にあたる。楽しいく幸せな時が多くなると、時間はサッサっと過ぎて行く。'時間よ~ぉ とまれ~…’と思いたくなる。
 
(ボーイフレンド)
 滞在期間が長くなってくると、みんなそれぞれ、ボーフレンドなりが出来てくる。アコちゃんとカミちゃんは、それぞれ韓国系のボーイフレンドを。ツー君はパートで来るローカルの大学生ちゃん。私は、海沿いに引っ越してすぐに、金髪碧眼、ローカルの医学生のスティーブとデートをしていた。

 スティーブとの出会いは、オーストラリアに来る一年前。彼が日本旅行をしていた時に、私のいたインフォメーション・センターに来たことから始まる。温泉で有名な土地。インフォメーション・センターで英語で会話ができるのは、私だけ。必然的に、全ての海外からの旅行者の面倒をみていた。その一人が、スティーブ。
 バックパッカーで一人、日本中を旅行していて、その日泊まる宿を探し中。出来たら安く済ませたい。ガイドブックを開いて、ユースホステルの写真を見せてくる。安い宿ではあるが、街からかなり離れている為、バスに乗らなくてはならないと説明するが、全く譲らない。仰せの通り、ユースホステルに電話を掛け、予約を入れる。バスの時間を調べる。発車時間まで時間があったので、話をしていると、オーストラリア・シドニー出身だと分かる。その時点で、オーストラリア行きが決まっていた私は、その事を告げて、話は大盛り上がりになった。

「メモを貰える?」メモ用紙を、スティーブに渡す。何やら書き始める。
「はい、これ。僕の名前、住所、電話番号。連絡取り合いましょう。」(こんな事ってあるんだぁ。ラッキー!)知り合いが多いに越したことはない。
「ありがとう。手紙書きますね。」

バスの時間が来てしまった。スティーブは、走ってバス停へ。
たったそれだけの出会いで、一年間に手紙を2回やり取りをし、シドニーに着いて2か月ほどしたら、付き合いが始まっていた。最初にフラットに遊びに来た時、小さな花束を持った金髪碧眼が、はにかんだ微笑で、ハグをし、ほっぺにキス。

 遊び過ぎがたたって、風邪をひいた。たまたまフラットメイトのマミさんがいなかったので、さすが医学生、薬と食べ物を持って来てくれる。薬は良いとしても、持って来た食べ物が、ピザとコーラ。(嘘だろう??こっちはのどが痛いんだよぉ。)さすがにピザは食べられない。もったいないので、スティーブは半分食べて、残りは冷蔵庫へ。

「冷蔵庫に入れておくからね。具合良くなったら、ちゃんと食べるように。」いっぱしの医者気分である。
まぁ、薬はちゃんとしたものを持って来たので、大目に見よう。医者の卵は、病人の所では、長居をしない。移したくないので、私も帰ってほしい。横になりたい。                             
国が変わると、病気の時に食べたくなるだろうなぁと思う食べ物も、大幅に変わる。(…らしい)来るのが分かっていたら、ちゃんと好みを聞いてほしいところである。オーストラリア滞在中、こんな調子で、ずっと付き合う。
 
 
(国内旅行)
アコちゃん、クロちゃんと私、3人で旅行をする。交通手段は、国内線飛行機。シドニーを出て、ブリスベン経由ゴールドコースト、ケアンズ、エアーズロックを回る旅。バックパックを背負い、いざ出発。夏の終わりの頃、まだまだ温かい。特に北へ北へと行くので、温かさは増す。長袖もいくつか持ったが、ほとんどは半そで、綿シャツ、ショーツ、柄スパッツそれと忘れてはいけない、水着と食料。(水着と食料が同列)

 ブリスベン着。ここの目的は、ローン・パイン国立公園。カンガルーが飼われている、果てしなく広~い柵の中に、人間が入って行くところだ。先ずは、カンガルーに与える餌を買う。それを手に、柵の中へ。向こうもよく心得ている、’人間を見たら餌と思え’。入って行くと、向こうの方から、来る来る~。ビヨ~ン、ビヨ~ン、ボヨ~ン、ボヨ~ンともの凄い勢いで、こちらに向かってくる。遠目には、可愛くてそんなに大きく見えない。それが近寄ってくると‥‥キャーーー思っているよりはるかに大きい。いや、でかい!(嫌い、逃げたい)尾の付け根は、女性のウエストぐらいはゆうにある。その大きい動物が、疾走してきて、ぶつかる前ギリギリで、停止する。そして、餌をねだるのである。楽しい?疑問である。良い経験ではある。でも1度やったら、上等である。その足で、ゴールドコーストへ移動。シドニーで一緒に働いた、アミちゃんの家へ。
 
 彼女のフラットは、運河沿いにあり、大きくはないが瀟洒なお家。ここで数日、お世話になる。滞在中は、私達が食料を買い、料理もすると言う契約。とても助かる。持つべきものは…、である。街中を闊歩してみたり、ビーチへ行ったりしていると…なんと、横断歩道の向こう側で、ニコニコ顔で手を振っているチャイニーズの男がいる。アコちゃん、クロちゃんと私、お互いの顔を見合わせて(誰に手振ってんのよ、あの人…)。話すことなく、三人の表情がそう言っている。アーーー、そこで気が付いたのが、私。鉄板焼きレストランで働いてた、ジョーだ。大きく手を振り返す。道を渡っていくと

「ハーイ、タン。元気?何してるんだよぉ?」
「友達と旅行の途中。貴女こそ、なんでここにいるの?」
「今はここで、働いてるんだよ。鉄板焼きのシェフになったんだ。」
「良かったじゃない。どこにあるの?」と聞くと、名刺を出してきた。
「いる間においでよ。サービスするから。」すかさず、女3人で話し合い、結局その日のディナーに決定する。滞在先のアミちゃんも連れて。(アミちゃんの分は3人のおごり)
「じゃー、また後でね。6時にブッキングよろしくね。」

 アミちゃんに、ディナーの連絡をし、仕事終わりに現地で会うことにする。行ってみたら、結構いい感じのお店で、高い(?)かなぁ…。でも、毎日の事じゃないし、いいかぁ。ホリデーだから、ゆるゆるゆる~~である。ジョーが、私達の前で、作ってくれて、彼からのサービスで、エビを追加して頂く。シドニーのレストランで一緒に働いていた時は、キッチンハンドで、食器を洗っていた。シェフになりたい事は聞いていて、時々教えてもらい、練習している事も知っていた。あのジョーが、今はシェフ。感動ものである。
 ディナーの後、ジョーも加えて、みんなでカジノへGO 貧乏ワーホリ・メイカー、テーブルに座ることなく、ポーカーマシーンだけやって、軍資金は消滅し、足早にアミちゃんのフラットへ帰宅。とにかくダラダラ過ごした、ゴールドコーストからケアンズへFLY
 
 ムッ…ケアンズは蒸し暑かった。ここまで北上して来ると、亜熱帯の地域に入っているので、ムシムシ加減が全然違う。空気の中の小っちゃい水蒸気が、肌にまとわり付いて来るのが分かる。空港から、いかにも田舎のバスに乗り、街中へ移動。高い建物はない。行っても、3階どまりだ。空が広い。それも、いかにも蒸してますって感じの青空をしている。
ここでのお宿は、海沿いにあるバックパッカーズである。2段ベッド2つの4人部屋。私たち3人とヨーロッパからの女の子。ここでの滞在は1週間。

 ここで、クロちゃんだけ、5日間のダイビング・レッスンに参加。フォームを読みサインをし、ウェットスーツ・マスクその他のギアーを選び、グループ離脱。気を付けて、いってらっしゃ~~い。

 アコちゃんと二人、いつもの通り、街中を闊歩散策。’座るな’のサインがある階段に、わざわざ座り写真を撮ったり、とにかくありとあらゆる街中の通りを回ってみる。バックパッカーの為の田舎町で、とにかく小さい。半日も掛からないで、通りの名前を覚え、お店の種類、位置まで把握してしまう。すると、また向こうの方から、ニコニコしながら寄って来る、日本人の可愛い男子がいる。

「よう!アコちゃん。」(大阪のイントネーション)アコちゃん、びっくり。
「何してるのぉ~?」(こちらも大阪人で大阪イントネーション)
「ここでゆっくりしてんね~ん。」
「友達のタン。タンちゃん、この子'スティル・チャイルド’。私たち旅行中。どっか美味しいカフェ知らない?」
「連れてくよ。やる事ないし。」という事で、'スティル・チャイルド’は、ケアンズ滞在中、私たち2人の案内人兼ボディーガードに。(ふつうの背丈で細めの可愛い男の子。見た目からのあだ名で、'スティル・チャイルド’)

 ある日、3人で、街から小1時間バスで行ったビーチへ行ってみた。少々曇りではあるが、行ったら晴れてるかもしれないという事で、いざ出発。日本で見たことの無いようなバスで、ギアーが運転手の左やや後ろ、バスのほぼ真ん中に位置しているような感じ。座席は、ビニールみたいな生地で、スプリングはきかず、でこぼこ道をそのまま体感できる。お客は、私達3人とヨーロピアンの若い男性。

「天気ダメそうだねぇ。終点まで行って、帰ってくるパターンだね。」アコちゃんが言う。
「そうだねぇ。にしても、このバス古いし、ぼろくない?」と私。すると…私の後ろに座っていた、ヨーロピアンの若い男性が、小さな声で…
「どうもすみません。古いバスで。」と、申し訳なさそうに言った。
(は~ぁ?)私達3人、彼を凝視。
「こちらこそ、すみません。悪いこと言って。」と、私。

そう彼は、日本語を解する、ヨーロピアンだった。覚えておこう、口は禍の元。悪口は、ちっちゃな声で、出来たら内緒話が得策。

 クロちゃんは、毎夕ボロボロに疲れて帰って来て、ディナーを食べると寝てしまう。あとの3人は、とにかくの~んびりとケアンズの日々を、楽しく、楽に過ごしている。高地にあるクーランダの街へ、電車で行ってみたり。近くにあるモーテルのプールで泳いだり。デイ・トリップでホワイトウォーター・ラフティングで、ゴムボートを漕ぎまくったり。ディスコへ行ったり。遊び惚ける。(人生の中で、大事な時間かもしれない)

 もうやる事もなくなったかなぁと思った頃、クロちゃんのダイビング・レッスンも終了。残りの2日間のケアンズを、何もせずリラックスに徹する。'スティル・チャイルド’にお若をし、最後の目的地、エアーズロックへ。
 
 飛行機からも、赤土しか見えない大地を、何時間飛んだだろう、やっとと言うかんじで、アリススプリングス到着。暑い!太陽の日が、痛い!こんなにも機構が違うものか!こんな思いを抱えながら、タクシーで街中へ移動。

 お腹が空いている、妙齢の娘3人。探すは、チャイニーズ・レストラン。地球上どんなに田舎の小さい町に行っても、チャイニーズは生きている。そして、チャイニーズ・フードを作っている。アジア人種にとっては、とてもありがたい存在。荒涼と閑散とした街を歩き回る…あったーーー チャイニーズレストラン!!チャーハンとソフトドリンクを買い、3人でシェアー。お腹が膨れたら、元気も出てきた。いざアコモデーションへ移動。

 宿泊施設群のあるユララである。これがまたとんでもなく時間がかかる。6時間ぐらい。いったん眠りに落ちて、目を覚ましたぐらいで、キャメル・ファームに着き、キャメル・ライドをする。上下左右に揺れて走るキャメル。目を覚ますには良いアトラクションである。それから、また延々と赤土の荒野の中を、数時間走り続ける。(きっと起きているのは、ドライバーだけ)ふっと目を覚ますと、外にアボリジニの人が歩いている。(どこから来たのだろう。家なんどこにもない。荒野だ。)ユララに到着。バスに乗り疲れ、はっきりしない頭で、ドライバーから荷物を貰い、レセプションへ行き、やっと自分たちの部屋にたどり着く。寝る前に、食べねば。

 砂漠のど真ん中である。日が落ちると、どっと気温が下がる。バックパッカーのようなアコモデーション滞在。外のキッチンを使う。2袋の安いラーメンに少しの野菜を入れ、3人でシェアする。とりあえずシャワーに入り、体を温めて、着れる物をすべて着込み、ヒーターを夜通しかけっぱなしで、就寝。次の日、エアーズロックへのツアーに参加。早朝出発。

 早朝5時半出発。何事もゆるゆるのお国柄、のんびりと集合場所へ行ったら、なんと私達が乗るはずのバスの後ろ姿が~~~~遠のいて行く。(昨日乗って来た同じバス)ほかのツアーの自動車、バスがまだ何台か出発準備中。片っ端からドライパーを捕まえ、事情を話し、乗せてもらえるよう交渉。1人のドライバーが聞きつけて、乗せていただける。(神のご加護!)ツアーの行程は、どこも一緒なので、とりあえず初めの見学先まで行けたら、あとは上手く行くはず。マイクロバスの片隅に、3人して、神妙な表情で鎮座する。
 第一見学場所到着。3人で礼を言い、走り出す。バス見っけ、ドライバーも見っけ。私たちのバスのドライバーに、またまた事情を説明し、それぞれの名前を確認し、無事ツアー参加。太古の時代に、誰かが描いた絵を見学し、アボリジニの人達の神聖な場所を見学をする。そして、ハイライトのエアーズロックへ。
 時間を告げられ、その時間までに登って、降りてこなければならない。草すら全く生えていない、ツルツルの表面。あるのは、鎖が一本。それも、登る人、下る人両方が、その一本の鎖が頼りなのである。思ったよりも傾斜がきつい。タバコ吸いの3人娘には、重労働。数歩登っては休み、また数歩登っては休み・・・そして、見なきゃ良いのに、来た道を見下ろしてしまった。ダメ~~高いじゃん!急じゃん!頂上とされる所までは辿り着けなかった。
 でも360度地平線の見える所までは登れた。信じられない光景。私の周りには赤土以外何もない、まぁあっても低木がちらほら。人間の小ささを圧倒的に痛感。(人間から見た、アリのような存在なんだなぁ、私は)戦争をしたり、小っちゃい事で怒り、いざこざを起こしたり、実に馬鹿げた事のように思われる。降りてくる時は、否応なしに下が見える、とにかく勇気を振り絞って、落ちないように注意して無事'下岩'。

 あとはエアーズロックの写真を撮るのみ。何キロか離れた所へ移動。エアーズロックを右から左まで一気に写真に撮る。全てのツアーが同じ行程なので、どこに行っても賑わっている。低木が点在している。カメラを構えると、低木の向こうから誰かが顔を出す。後ろを向きカメラを構えている人を見つけると、座ってくれる。(モグラ叩きのモグラのように出たり入ったり)みんなが座っている間を見つけて、シャッターを切る。技術がいるのだ。
さぁ、バスに揺られユララへ。5-6時間のツアーだが、アクティブで疲れる。昨晩の気温は、マイナスもしくは0℃に近かった。身体が休みたいと言っている。夕飯を作る時間まで、部屋で3人、ゆっくり過ごす。この日は、ラッキーにも、暖かい室内キッチンで料理をし、そこでディナーをとる事が出来た。このホリデー、最後の晩餐である。お喋りしながら、少しの食事を3人でシェアー。

 次の日、早朝。ツアーバスに揺られ、アリススプリングスへ、引き続き国内線でメルボルンへ。乗り換えをして夜にシドニー到着。忙しない1日での移動。3人娘のホリデー完了。
 
(日本帰国)
 3人娘のホリデーが終わって数週間。ビザはギリギリである。帰国の日が近づいてくる。免税店で知り合った人達、日本人、韓国人、中国人、ローカル、ギリシャ人そろって、お別れディナー。マミさん、ティアちゃん、フィービー、テレとジム君、スティーブも加わって、ポリネシアンダンスショーのディナーへ。フィービーとテレはダンサーとして出演。楽しい時間を過ごす。
 帰国の日が来た。カミちゃん、アコちゃん、ツー君、クロちゃんが、フラットまで来てくれた。私の後釜は、アコちゃん。マミさんとティアちゃんと暮らすことになっている。みんなとハグをして、再会を約束。マミさんとティアちゃん一緒に、スティーブの運転で、空港へ。最後は4人で抱き合い。さようなら。またね…
 飛行機に搭乗し、席に着く。心が落ち着かない。セイフティーベルトをし、体にGを感じる。飛行機が滑走路を疾走し、ふわっと浮く。涙が出てきた。色んな思いが次から次へと湧いてくる。嬉しかったことを思い出し、出会った人の顔を思い出し、寂しくなる。(私は今一人)日本は変わったんだろうか?私はどう感じるのだろう?窓の外を見る。すでに真下に青い海が見える。朝の便なので、ディナーは日本で食べるんだなぁ。いろいろ考えていたら、飛行機のように、時間も飛んで行った。
「同機は、成田国際空港へアプローチしてまいります…。」来たか…このアナウンス。
期待が高度を下げて行くのを感じる。空港上空を回旋しているのが分かる。着陸順番待ち。急にググっと高度が下がった、日本の地はもう手の届くところ。ズーーン、ダンダンダンダン、キューーン…ドゥドゥンドゥドゥン…日本到着。
 
(エピローグ)
 長いような短いような1年。凝縮して、色々な事が起こり、多彩な人種に会い、面白い経験をした。世の中には、全く違う考えを持った人が沢山いることも知る。

 マミさんティアちゃん、私の心の支え。無茶をした私を、マミさんはうす涙を浮かべながら叱ってくれた。ティアちゃんは、ただそこにいるだけで、癒された。マミさんへはちょっと忠告。
「カフェの仕事も良いけど、免税店みたいな安定した仕事に着いた方が良いわよ。もったいない。ちゃんと英語も話せるんだから。」

 フィービー、テレ、ジムから、助け合う楽しさを教えてもらえる。忙しい大人2人。時々ジムがお泊りに来て、おいたもする。でも楽しくて素直な子。私が“空手キッドのミスター宮城は、私の伯父さんなの。″と言ったら、学校で友達に言っちゃう子。

 スティーブは、真面目。帰国前日…

「あなたの為に戻って来て良い?」と聞いた
「僕の未来はまだ不確かだから、戻って来るなら君の為に戻って来てほしい。」と言う

3歳年下の真面目で、しっかりした医学生。真っすぐ見据えて、正論を言われ、傷つくどころか、清々しい。

 カミちゃん、アコちゃん、ツー君、クロちゃん。オーストラリアにいる時だけの無茶を楽しめた仲間。一生モノの関係になる~?

 日本について、イミグレーションを抜け、荷物を取り、税関を出たら、母、伯母、姉(三婆)が待っていた。抱き合ったと同時に、涙の洪水。姉の肩を借りて泣いている私に、母が言った言葉が聞こえた…
「1年ぶりに会えて、嬉しいのよぉ…」私の頭の上を通り過ぎて行く言葉。

 お母様、貴女は大きな間違いをしている。あなた達を見た途端、現実が私を襲い、1年かけて築いた関係、出会った人達が今、自分の足の遠い、下の方にいることに気が付いたのである。貴女の娘は、それで号泣しているのだ。
 
 
 
 
1か月後。初夏。電話が鳴る。
「タン、貴女に電話よ。」
「はい、タンですが。」
「マサです。ニュージーランドでお店開くんだけど、行く?」

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