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いろいろあり いろいろ考える(2)

(凄い人たち)
 
 今日は薄曇りで寒い日。私の横には、4つパネルの付いたパネルヒーターが、私を温めてくれる。ニュージーランドの地方都市の端っこの方にある住宅地の我が家の周辺は、信じられないくらい静かで、天気の事もあってか、鳥の声さえ聞こえない。でも、世間は忙しく、色んな事が起こっている。それも同時進行で。でも、よく考えてみれば、地球が始まった時から、その現象は、ずーっと続いているわけで、特に驚くことではないんだと、やっと気が付く。日本では、地震が立て続けに起こっているが。世界的に(?)注目の的は、パリオリンピックだろう。と言っても、もう閉会式が始まっているのかな??

 ニュージーランドは、少数精鋭で頑張ってきた。まぁ、いつもそうなのだが。あくまでも日本との比較なのだが、競技者の人数は、日本の約半分。そして、金メダルの獲得数も半分。今回は、20個取っている。大したものだ。何となく微笑が出てしまう。

 ただ決定的に違うものは、種目である。水物が多い。水泳でも過去に、良い選手がいたのだが、ここで言う水物は、ローイング、カヤック、カヌーと言った類。理由は分からないが、なんだか強い。ニュージーランド人は、人口比率から考えると、自然の中で、アドベンチャー要素のある運動を、趣味でやっている人が多いのかもしれない。
 この’趣味’と言うのが、重要なのかもしれない。趣味は前提として、好きであり、楽しく出来ているもの。そこには、他との競争と言う概念がない。ただし、『好きこそ ものの上手なり』、極める率が高くなる。そうすると、何となくどっかのレースに出てみようと思い、出てみたら思いのほか、成績が良かったりする。成績が良かったりすると、またほかのレースにも…となって行く。そして、ある時点で、集中して取り組んでみようと思い、色々なエクセサイズをし、色々なアドバイスを聞き、技術を磨き、家族の協力があり、高みを目指す。そして、気が付いてみると国の代表に選ばれている。
 それでも、ニュージーランド人は、基本的に楽しんで、そして真摯にレースに挑んでいるように見える。傍観者の私たちが、悲壮感、自己犠牲を感じることはない。勝っても負けても、国民のほとんどが、″よくやった″と褒め称える。決勝まで行って最後になっても、彼らは’世界で8番目に強い、速い、すごい人’と、思って褒め称える。

 そういえば、日本のスケートボーダーの男の子の背中が見えて、ハッとした。シャツが少しめくれている所から見えた、彼の背中が真っ赤だった。そのシーンの前に、彼は何度か演技で失敗をし、背中をコンクリートの地面に、これでもかと打ち付けていた。シャツがめくれていなかったら、人の目に触れない事実でしかない。あの背中を見た時、好きな事をしているのだろうけど、ここまで無理をしているのか、と思い知らされた。でも、「背中が赤くなっていますけど、大丈夫ですか?」とインタビューされても、彼はきっと、「あっ、平気です。いつもの事ですから。」と、言って終わるだろう。人から見て無理に思えても、彼らにしてみたらいつもの事の一つでしかない。それも含めて、楽しんでいるとしか言えない。

 それともう一つ、水泳の選手が言ったこと。今しがた終わったレースの後のスケジュールが、自分の思っていたスケジュールと違っていたと気が付いて、その後の自分個人のスケジュールを変えなくては、と言ったことだ。そこまでするんだ!驚き!!次のレースの時刻が変わると、それに合わせて、自分のスケジュールを全部変え、次のレース時にパーフェクトになるよう調整する。彼らにしたら、当然のこと、通常の事。でも、その他大勢の一般の人からしたら、驚異なことだ。

 オリンピックの陸上競技に興味がある。100m走とリレーは、ワクワクドキドキする。日本の選手たち、速くなってる。100m走、速い!10秒掛かってないのだ。それでも、決勝に進めない。8秒6台でなくてはいけない。8秒6と8秒9の間に、ざっと10人はいる。信じられない戦い。他者とも自分とも、十分の一秒、百分の一秒の世界で競っている。選手は、もっと頑張らねば、と口に出して言う。良くそこまで出来るなぁ、感心あるのみ。
 リレーも速い。特にバトンの渡し方が秀悦。ほかの国に比べると、バトンゾーンでのスタートが、はやい。そして、確実にバトンを’きれい’に次へ渡す。スムーズにバトンを渡せないと、時間に無駄ができることを、ほかの国も分かってきた。だから、そのあたりを強化するようになってきたが、日本の技術には追い付いていない。彼らのやっている事は、芸術に匹敵すると、勝手に思っている。

 私は若い時に、短距離走をしていた。生まれつき、足が速かっただけなのだ。でも、走っているのは好きだった。風になった感覚があったから。小学校、中学校時と、当然のように陸上をやり、学校代表として走っていた。でも、辞めてしまった。練習が嫌い。競争心に欠ける。致命的である。ただ楽しく走っていたいだけ。向上心もなかったのだろう。もっと上へ、もっと上へと言う気持ちが皆無。画一的で一方的な指導も、性格的に合わなかった、と言うのもある。練習時に水を飲まないようにと言われていた時代に、真夏の炎天下で練習をしていた。それでもレースで走れば、当然のように決勝戦へ進む。
 だから分かるのだ、何も考えず、息もせず、ゴールを走り抜ける。でないと、勝てない。決勝は最後のほんの数歩で、全てが決まる。刹那の問題。何かが頭を過ぎったり、周りが見えてしまったら、一瞬にして、今まで一直線に並んでいたものが、バタバタと崩れて、勝敗が決まる。私には初めから無理だったのだ。陣取り遊びで、自由に走り回って楽しんでいるのが、私には合っていた。やっぱり楽しく生きるのが好きは、この頃から私の中にあったのだ。

 オリンピックの選手は、みんな凄い人たち!!それぞれのスポーツをやっている何百万人、何千万人の1%にも満たない頂上の人たち。その人たちが、勝った負けたとせめぎ合っている。負けたても称賛に値する以外、誰も何も言えない。だって、凄い人たちの集団なんだから。

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