私はいったい何者か①〜子育てから子育ちへ〜
私にはわたしが当時
19歳27歳37歳の時に授かった
3人の子ども達がいます。
子ども達の歳の差はそれぞれ8個と10個差。
10代20代30代での出産。
10年で3人の子どもを産む事はあっても
10年毎に子どもを出産している人は
それほど多くはいないのではないでしょうか。
いま現在子ども達は、
長男は20歳、長女12歳、末っ子は2歳になりました。
私の子育ての価値観は、
20年前10年前そして現在では
たいへん大きく変化してゆくことになります。
第一子の時は、
「ちゃんとしなきゃ」
「ちゃんとさせなきゃ」
「私がよくない母親だと思われないように」
「若いからだと思われないように」
…と周りの目を気にして
みんなと同じようにだとか、
ちゃんとする事を子どもに押しつける子育てでした。
"ちゃんと"っていったいどうすることなのでしょうか?
第二子の時は、
「私がやらないとやってあげないと」
「私がみてないといけないの」
長男が幼い頃は私自身の未熟さもあり
長男を私の母に任せる事も多かったので、
次の子は
私がしっかり見てないとちゃんとしないといけない、
子どもとママは一心同体でいないといけない。
そんな風にに思っていた子育てではなかったでしょうか。
子育てはママひとりで頑張る必要はあるのでしょうか?
そして
今から2年前に産まれた第三子(あーちゃん)
「はい!お母さん!もう産まれますよー」
(第三子にして初めて助産所でのお産)
助産師さんやそこにいたすべての人が、
もうすぐ誕生する!と準備したにも関わらず
待てども待てども産まれてこないあーちゃん。
進むことをやめてしまったのか、
産道を戻ってしまったのか!?
けれどあーちゃんはそれから約5時間後、
キラキラ輝く朝日と共に
元気な産声をあげてこの世に誕生しました。
そう。私たち大人は、
ある程度のことを経験したのちに
子ども授かり産み育てはじめる。
大体のことを知っているからと
この世に生を受けて間もない人たちの
先を見越して
すべてをやってあげることが愛なのか
早く早くと急かし
みんなと一緒。ちゃんとさせる事が愛なのか
どこを探しても見つからない
本当の愛とは愛のカタチとは
愛はどこにあるのでしょう。
本当の"愛"それは
ただただ"待つ"それだけのこと?
待つことは本当は難しくない
だけどとっても難しい。
第三子あーちゃんは、
"待つ"ことの大切さを教えにやってきた
そんな人なのではないでしょうか。
世の中には様々な考え方や育て方があり、
親になったから。とがんばりすぎる人や
親だからといって偉そうにする人もいます。
本当にそれで良いのでしょうか。
親だから教えてあげないといけないのか
親だからしっかりしないといけないのか
本当は子どもから学ぶ事の方が多く
子どもから教えてもらう事の方が多いのです。
観察し待ってみるとみえてきます
三呼吸(フーフーフー)たった三呼吸でもよいのです。待つ事を意識。
大切なのは教え導くのではなく待つこと
大きいヒトと小さいヒトは対等で
「親子」ではなく「親と子」
ひとりひとりを尊重し合い
生き抜くすべを身につけながら
共に成長し尊重し、
共に笑いあえる関係性でいることが
なによりも大切な親と子の在り方なのではないでしょうか。
私の永く続く
ちいさいヒトと暮らす期間の中で
子どもを育てる"子育て"ではなく
子どもと共に自身も育つ"子育ち"
子どもと暮らすことを
そう考えるようになっていきました。
まわりの目を気にしてしっかりする事も
がんばりすぎる必要もない。
ただ生きて生き抜こう
これからもたくさんの笑顔と出逢えますように。
私はいったい何者か①
私は子どもと一緒に暮らす事を
指導し育てる子育てではなく、
子どもと共に成長する子育ちだと考える者です。
次話
私はいったい何者か②
〜地球に誕生から社会人になるまで〜に続きます。
長文をご清覧いただき
まことにありがとうございました。
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