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today's message3/3あなたは寛大な心で信頼できる人、約束を守って

あなたは、精神的な支えとなって人から信頼されているのです。あなたの心は寛大なので誰かのメンター、指導者となってください。発する言葉に特別な意義が宿っています。自分で決めた約束を守り抜くことを忘れないよう、カードがもとらされました。自分が以前決めたことを何度も考え直すのはなぜですか、先延ばしをすることはなぜだか知っていますか。エゴが生む怖れです。後戻りしてはいけません。約束を守り抜く強さを持っています。最初の直感と現状を乗り切る強さをあなたは持っています。


やり始めるには、少し後押しが必要だとご自分でわかっています。行動の前に長らく考え過ぎるところがあるのかもしれません。あなたが行動を起こすとなれば、階段を一歩一歩登り、上手くいくように考えられた計画があります。心を開いてあなたの信じる方向は導きや助言がもらえます。あなたが自分自身の教皇(メンター、導き手)となって、自分の願望実現の為に、現実社会のルールの中で哲学をもちなさい。

今日のカードは、教皇、司祭、法皇が出てきてくれました。教皇、司祭の身体が生命の樹をあらわしており、右手が「慈悲の柱」、左手が「峻厳の柱」を示し、頭から足元までが中心の柱だといいます。右手のサインは、カトリックで一般的に「祝福」を与えるサインを意味し、秘教的伝統の中で知られた聖職者のサインだそうです。👇

司祭、教皇の冠には釘が3本あり、キリストの受難を意味しているようです。また、司祭の台座には、2本の交差する鍵があり、これは、ペテロがキリストから受け取った鍵だと言います。ペトロとキリスト教、引用👇

カトリック教会ではペトロを初代のローマ教皇とみなす[19]。これは「天の国の鍵」をイエスから受け取ったペトロが権威を与えられ、それをローマ司教としてのローマ教皇が継承したとみなすからである[20]。

文化としてのペトロ👇カラバッジオによるペトロの否認、ジョルジュ・ド・ラ・トゥールによるペトロの否認
「わたし(主のこと)はあなた(ペトロのこと)に天の国の鍵を授ける。あなたが地上でつなぐことは、天上でもつながれる。あなたが地上でも解くことは、天上でも解かれる。」というマタイによる福音書の16:19
最後の晩餐のあと、キリストはペトロに「あなたは鶏が鳴く前に3度、私を知らないというだろう」と予言し、ペトロは「絶対にありえない」と否定するが、翌日キリストが連行され、ペトロがその様子をうかがっていると、周囲から「おまえもキリストの弟子だろう」と詰め寄られると「違う」と否認してしまう。ペトロは再三問われ、3度目に否認した直後、鶏が雄たけびを上げ、その声を聞いてペトロはキリストの予言を思い出し、涙にくれる。この場面は「ペトロの否認」として、レンブラントやカラバッジオ、ジョルジュ・ド・ラ・トゥールをはじめ、幾度となく絵画に描かれている。

👆Wikipedia引用

また、「天の国の鍵」をイエスから受け取ったペトロが権威を与えられ、それをローマ司教としてのローマ教皇が継承したとみなしており、ペテロは、カトリック教会では初代のローマ教皇とみなしている。ローマ教皇のパパル十字(左手)は、三位一体を表し、心身、魂、思考を示しています。パパル十字は、1番身分の高い精神世界を指導する人を意味しています。また、パパル十字の三重の十字架は、黄金の夜明け団の儀式で身につける懸章で三段階の基本的なイニシエーション(秘密結社への加入やシャーマンなど宗教職能者の地位の取得)が完成したことを象徴している、と言います。


また、皇帝4のカードでは、エジプトの十字アンクを持っており、物質的支配をする指導者であることをさしています。司祭、教皇5のカードでは、精神世界を指導するものをさしています。

司祭の立っている台の上には、円の中の十字のマークがあり、生命の樹のコクマー(知恵)の光の器と言われています。小アルカナで「2」のスート、大アルカナでは、司祭のカードに対応します。「存在」の本質です。「受容的、受動的、弱腰、同情的、従属的、決意が必要、イニシエーション、バランス、発展途上、問題をしっかり把握する段階」5の数秘エネルギーでいえば、「冒険、参加、超越」を意味しています。


赤い薔薇は殉教した事を示し、キリストの血と言われたり、白い薔薇と赤い薔薇は、黄金の夜明け団の儀式のシンボルであり、魔術師のカードにも出てきます。また、台座の白黒の模様は、フリーメイソンのロッジの模様と同一と書かれています。👇

👇ギリシャ神話の法皇、教皇はケンタウロス族王のケイロンです。ウェイト版タロットと同じく右手は、「祝福」を与えるサインです。左手は、ウェイト版タロットと違って、法の巻物をもっています。

友人の英雄ヘラクレスが9つの頭と猛毒をもつヒュドラ退治後、ケイロンの洞窟に訪れた際、ヒュドラの血がついたの矢でうっかりケイロンの太ももに触れてします。不死身なケイロンは、ヒュドラの傷の痛みに苦しみながら生き続けた。そのことから、この世の喜びを犠牲にして叡智を教える事に人生を捧げ、痛みと共に成熟する哲学的な理解を教えた人物として、ギリシャ神話に出てくる。


👆2:20~法皇、教皇ケイロンにまつわる話👆








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