ココ・シャネル

1883年(明治16年)産まれ。
ココ・シャネル(Coco Chanel)
本当の名前はガブリエル・ボヌール・シャネル(Gabrielle Bonheur Chanel)

この人も貧しかった。

11歳の時に母親が亡くなって、父親も「ちょっとタバコ買ってくる。」って家を出たきり何処か行ってしまったんだって。

その後は、孤児院や修道院で18歳まで育った後、仕立て屋の雇われで服を縫う仕事をしながら、ラ・ロレンドというショーパブで歌うようになった。

この頃のシャネルは歌手になるのが夢だった。
持ち歌は2曲。

Ko Ko Ri Ko(コケコッコウ)』と『Qui qu'a vu Coco dans le Trocadero(トロカデロでココを見たのはだれ)

ステージで歌うシャネルに、お客さんは「コッコッ」とニワトリの鳴きまねで声援を送ってたんだって。
それが「ココ・シャネル」の名前の由来。

シャネルの生きた時代。
イギリスの覇権も陰りがみえて、ヨーロッパを中心に二度の世界大戦が起こって、その激動の時代をシャネルは生きた。
当時のヨーロッパの女性達は、男性の付属品のような扱いだったんだって。
孤児院で育ったシャネル姉妹は、貧しかった。
孤児院の中で、もっとも貧しかったのがシャネル姉妹。
貧しさや飢え。
寂しさや怒り。
差別に不自由。
これがシャネルの出発点!!

当時を振り返ったシャネルの言葉がある。

「人生の牢獄から脱出するカギがなによりわたしには必要だった。

自由でいるためにも、大事な人を助けるためにも、カギとなるお金が欲しかった。」

そして、こんな事も言っている。

「わたしはお金自体には夢中になったことはない。

だけど"自立"することには、ずっと夢中だった。

"お金をためて、ここから出ていく"。

この一念がわたしを夢中にさせた。」


自立の扉を、お金とゆうカギで開けていく。

「わたしはシャネル。」

誰かが自分のことを好きか嫌いかなんて関係ない。
ただ自分らしく生きる。

歌うのがスキだー。
オシャレがスキだー。
服作るの最高。
香水は売春婦がつけるもの?

ふざけるなー香水は女を磨く為につけるんじゃー。
香水作るぞー!!

女は海にはいれないって?

そんなの関係ねえ!!

女性の為の水着つくるぞー!!

既成概念の破壊者であり女性達の救済者でもあった。

当時の状況からしてはまさに革新的だった。

下積みは大変苦労したみたいだけど、自分の感性を信じ切って、歌では、芽が出なかったけど、帽子に始まりどんどん個性的でオシャレなのに楽で、着心地のいい服や、香水、ジュエリーを作っていった。

でも、ただ好きなもんだけを闇雲に作ってた訳じゃない。
時は戦時中。
世の中メチャクチャカオスな状態!!
しかも男尊女卑。
恋も沢山した。
男性のパワーも大いに利用した。
そして何より、時代の流れの中で自身のスタイルを確立していく信念。
そんで間違いなく運も味方につけてた。
人の価値観は時間と共に移り変わっていくもの。
いつもきっかけは群れに属さない、異端児から始まる。
周りからは散々馬鹿にされながらも、自分の道を歩き続ける。

シャネルは言う。
「私のことを見て「なに、あの女ヘンな服を着て」とみんなわらったわ。
でも、それが私。
そして、それこそが成功の秘密だった。
みんなと同じ格好をしなかったからこそ、わたしは自分の個性と生き方とつらぬけた。」

誰でも始めは不安さ。
でも確信する!!
自分でいることが何よりも大切だって!!
他人になるな。
じぶんでいろ。
生きた化石みたいに、頑固にならずに時流に乗る。


「ドアに変わるかもしれないとゆう、思い込みに囚われて、壁を叩き続けてはいけないわ。

何かを成し遂げたいなら、きちんと現実的な方法をとること。」

だって。

壮大な夢を持ってたとしても、実現させなきゃせっかくの夢がもったいない。
女は度胸。情熱と冷静の間で成功を模索する。
必ず方法はあるんだよ。
夢を実現させる方法が!!

やりたい事を仕事にする。
やりたい仕事だから情熱を注ぐ。
メチャクチャ働く。
でも苦じゃない。
好きだから。
最高の服作る。
売れる。
大切な人を幸せにする。
売れる。
ハッピーな気分。
売れる。
色んな人と出会う。
バカ売れ。
恋人と喧嘩する。
アイデアが湧く。
仕事に熱中する。
バカ売れ。
恋人と仲直りする。
ハッピー。
こんな循環が起きれば、成功。

だが、時代は激動。
シャネルは第二次世界大戦中、治安の悪化や労働者の不満が爆発して、香水とアクセサリー部門だけを残して、従業員3000人解雇しちゃった。
そんで、ナチス占領下のパリでゲシュタポの高官と、恋に落ちました。
いろいろな思惑があり、ナチスのスパイ活動をしていたみたいで、逮捕され事件が明るみになり、フランス国民の怒りを買い、56歳でスイスへの亡命を余儀なくされる。
まさに大波乱。
世界中混乱していた頃だから、何があっても不思議はない。


15年後の71歳。
奇跡のカムバック!!
ファッション界に戻ったシャネルは、流行を追うわけもなく自分のスタイルで動きやすくてオシャレな服を作り続けた。

ヨーロッパでは古臭いって酷評を受けたそうだけど、アメリカno1時代に突入していた頃だから、自由思考の高いアメリカ女性の間でスゴイ人気がでたんだって。
服のデザインとかクオリティーはもちろん最高だったんだろう。
だけど、それよりもシャネルの生き方を貫く姿勢が女性達の共感を呼んだんだね。

まさにフェニックス!!
死ぬまで、成長できる。

面白いことを言っている。

「人間の成長にとって大事なことは、どんな先生から、何を学ぶかとゆうこと。

わたしは、その点に関しては一度も困ったことがなかった。

なぜなら、学んではいけないことをたくさんしってたから。」

さらに、素敵な言葉があります。

「ちいさいことでも、大きな価値を感じてもらえるものを選びなさい。

そして、それを実行に移しなさい。

そのチャンスはそこらに転がっているわ。

わたしは、それをつかんだの。

そう、自分の手で、

そのとき自分ができる方法で。」


さらにチャンスが自分のところに転がってきたとき。

「チャンスの尻尾を見つけたら、すぐに手をのばしてそれを掴んでなさい。

綿密な計画がないですって?

計画はあとから立ててもいいのよ。

まずは押さえておくこと。」


度胸よ度胸!!
なりたい人になる度胸はあるの?って
試されるよね。

まずはチャレンジ。
これがなければ、なにも変わらない。
失敗もなければ、成功もない。

世の中に影響を与える人は、みんな同じようなことを言うけど、それがいかに大事かってことだね。

まずはやりたい事をチャレンジやね。
人生が大きく変わるかもしれないよ〜。

完。