#2 人間らしさ〜音楽と美術とファッション〜
最近は、これまでに読んできた本の一部をもとにnoteい向き合うのが習慣になっています。忙しい合間をぬって書いているので、うまくまとめられませんが。。。
1 人生に芸術は必要!?
音楽のない世界、美術のない世界、ファッションに気を使わない世界なんて考えられるだろうか。多分、これらが当たり前になっている生活が身近にあり、考えたこともないかもしれない。
私は、ランニングが趣味だが、長い距離を走る時には、イヤホンから流れる好きなミュージックを聴きながら走るのが当たり前になっている。無音でも走れるが、音楽があった方がリズム良く走れたり、集中できたりする。よりランニングに没頭させてくれる。また、プロバスケットボールの試合をよく観戦し行くが、会場で流れるBGMに心躍ることも多々ある。音楽がない世界など考えられないと思う。美術、ファッションも然り。存在しないこと、気にしないまま生活することは不可能だと思う。それだけ、芸術に私たちの生活は支えられている。
2 芸術は大昔から生活と一体化していた
ロシアのスンギール遺跡で3万4000年前の子供の合葬墓にたくさんの副葬品が見つかったそうだ。マンモスの牙などで作られたもの。
3万年以上も前から人間は、動物の骨などで埋葬品を作成するなどしていたことが分かる。そんなに昔から、飾るものを作成していたのである。
人間は、本能的に着飾ったり、化粧をしたりしてきた。死者を埋葬する際にも副葬品をたくさん作成してきた。また、アフリカやアマゾンなど、現存する民族を見ると、顔に模様を描いたり、お面を作って被ったり、どこの地域を見ても、大昔からそういった風習を持っていることからも、芸術が近くにあったと思われる。民族楽器なども同様だろう。日本にも勾玉や琵琶法師、お歯黒など時代を代表するものが存在する。時代の変化とともに、宗教的な意味合いを持つものがあったり、自己表現に使われるようになったりしてきた経緯もある。
とにかく、人間は古くから、音楽や美術、ファッションは人間の性と言っていいほど、身近なものとなっていた。
3 教育現場の実際
芸術は、人間の生活に欠かせないものである。しかし、学校には、校則というものがあったり、理由は曖昧なまま制限されたりしていることが多々ある。
身なりについて、白い靴下、髪は肩まで、髪の色、化粧はしないなど時間や場所に合わせてならともかく、普段から強いられるのは違和感を覚える。そして、そうしなければいけない理由は意外と曖昧だったりする。「ダメだからダメ」のような感じに。
人間は、おしゃれをしたいのである。それを子供だからといって、押さえつけるのはどうなのだろうか。今の多様な時代では、それを受け入れられない子供たちもふえ、保護者の理解も得られにくくなっていると感じる。
学校というのは、理由が曖昧なのに制限していることが多々ある。大人が子供を管理しやすいようにということが裏にはあると思うが。時代には合わなくなってきている。
先日、こんなニュースが出ていた。
全くもって音楽の一種を禁止するというのはちょっと理解し難い。
音楽に興味を持ち、それに親しみ、仲間と踊ったり、歌ったりする。それは、人間らしさの一つである。
音楽、美術、ファッションなど芸術は、人間が地球に誕生した頃から続いている人間らしさなのである。「らしさ」を制限されるって、なんだか息苦しいなぁと感じる日曜日の夜です。
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