困った

前置き

Twitterとかでやると断片的な情報であーでもないこーでもないとなりそうなので、まとめられるここで。
ちなみに、何か是非を問うわけでも問題提起をするわけでもなく、俺が困っていることに対してアドバイスをくれたり、一緒に考えてくれたり、認知のゆがみを正してくれる人がいたらいいなと思ってるだけなので悪しからず。
人を選ぶ内容なので目次とか見て無理そうだと思ったらブラウザバックしておもしろフラッシュ倉庫でも見に行ってください。


花譜の姿ってアバターだったの?

じゃあ何なんだよって話なんだけど、とりあえずこれ見て

2020年の紹介文

日本の何処かに棲む 何処にでもいる 何処にもいない 17才。様々な偶然により発見された類い稀なる歌声を持つ、次世代型バーチャルシンガー。

2018年10月、仮想世界を拠点としながら現実世界への活動を 本格開始。彼女の歌声とSNSにアップされるリアルとバーチャルが融合した映像や写真が話題を呼び、フォロワーが急増。現在YouTubeチャンネル登録者数は50万人を超えている。

https://camp-fire.jp/projects/view/409416

2021年後半以降の紹介文

次世代アーティストの最先端を走るバーチャルシンガー。

現在18歳の彼女は、2018年10月より素顔を明かさずに3Dモデリングされたアバターを使って活動している。

YouTube総再生回数は1億回を超え、国内外に熱狂的なファンコミュニティを持つ。

https://kaf3rdanniversary.kamitsubaki.jp/

21年後半以降の紹介文には、「素顔を明かさずに3Dモデリングされたアバターを使って活動している。」等の記述があります。
prompt αUでは新たにヴァーチャルヒューマン(VH)のアバターとされるもの公開され、先日MVでもその姿で映されていましたね。

まあ、近年、花譜のその姿に対してアバターという表現がとられるようになったということなんですね。

アバターじゃなかったら何なんだよ

「花譜」という存在は、もちろんのこと本人がいて、その声があって、それを見出した人たちがいて、音楽を作る仲間がいて、姿かたちがあって、そこにいるようになったのであって、花譜がアバターを使っていますという表現ではないと思ってました。
つまり、あの姿は借りてきた見た目ではなく、「花譜」の存在を構成するものの一部であるというのが自分の考えです。

インスタや写真集で見た写真には確かに花譜が映っているし、そこにいたと思わせてくれました。武道館ではたくさんの人が見守る中、そこに花譜はいました。そこにあったのは花譜の存在そのものだったと思います。

そんな境遇の花譜だったからこそ、仮想世界から現実をまたにかけ、その存在を確かめたり疑ったり信じてみたりとできたと思っています。

どうなったか

紹介文は便宜上そういうのもあるかなとは思ってたものの、どうやらそのとおりらしい。
紹介文だけだったらただの杞憂だろとなだめてきたものの、アバターとして姿が増えているらしい。
自分が今持っている材料ではちょっと料理しきれないようです。

VHが「花譜」のアバターであるという考えや、2つの姿は見え方の違いで同一のものであるという考えもあるかと思ったが、どうもしっくりこない。

花譜の姿がアバターであるという文面はどうやら自分に効くらしい。
どうしたものか。

どうしたいの

これまでTwitterやらXの反応などを見るに自分みたいなことを言っている人がいなかったのも含め、これまでとは違う、一つ難題を迎えている気がするので言葉にしてみた次第です。

それに対して、何かしらの他人の考えみたいなのが見えたらうれしいみたいなようは、コメント乞食です。
みんなVHの登場とかアバターとかどう思ってるのかとかどう思ってんすかね。

一応言っておくけど

VHという表現には、これまでとは違う可能性があると思います。
表現を否定したいわけではないのです。
むしろそういう挑戦は、らしさであると思うので。
ただ、出方によって自分の中の整合性が取れなくなっているだけという、こだわりの話なんです。

それで彼女の歌を聞かなくなるわけでもなければ、嫌いになったりするわけではないです。
これまでもずっと見たいものを見たいように見てきているわけで、すべてを好きになれてたわけではないですし、でも振り返ってみればいろんな感じ方や表現があったこと自体が尊かったりします。

おわり

変に考えすぎな気もする。
いつか、振り返ってみればなんて言うこともなかったなんてこともあるとは思うけど、ね。この傷も~この涙も~ってね。

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