空(くう)(音楽瞑想)



みなさま、こんにちは
本日、10/4(日)9時よりの「KABUTO 音楽の絵本」のスクリプトです。

以下のURLでご覧いただけます。
https://youtu.be/d6LYvoFYP24


KABUTO 音楽の絵本
Story-16 空(くう)

それでは「音楽の絵本 Story-16 空(くう)」を行います。

「目を閉じます。今日は「空(くう)」についてお話していきたいと思います。「色即是空 空即是色」という言葉があります。仏教の言葉で、辞書で調べると「この世のすべてのものは形があるけれど、それは「縁起」という原因や条件などがそろって、ある形として存在しているのであり、本質は固定的な実体を持つものではない、しかし実体がない「空」であることで現象界の万物が成り立っている。」というようにありました。ご自身が思う「空」、すべてのものに実体はない、しかし「空」であることで万物があるという思いを広げてみてください。

いかがでしょうか。ご自身が感じられる「空」、何を思われたでしょうか。

ある番組でこのような話を聴いたことがあります。
たとえば部屋にある、木の机を見て、これは本を読んだり、パソコンをする「机」と認識します。木の椅子を見て、これは机の前に座るための「椅子」であると認識します。
今この家から出て、今家の中には人はいません。そこに飼っている猫が2階から降りてきます。猫にとっては、机は高い食器棚に上がるための踏台、椅子は昼寝のためのベッドです。
さて、ここに猫もいなくなったらどうでしょう。机も椅子もその役割を持ちません。ただの物体です。机も椅子も実体のないなんでもないものになります。この状態が「空(くう)」であるというふうに解説していたと思います。
また、玄関を開けて家に入ります。机があり、椅子があると自分が認識したとき、机は本を読む「机」になり、椅子は座る「椅子」になる。猫にとっては、机は踏台に、椅子はベッドとして存在します。認識によって、いろと書く「色(しき)」がそこに存在する。我々は認識によってこの世界をクリエイト、創造している。このような話だったと思います。

「自分が認識することで、そこにそのものとして存在する。私の机、私の椅子。」1つ1つのものに愛着を感じて大切にする。それらに「実体」を感じて、やすらぎの思いを感じることができる。その話を聴いてそのように思いました。

心が今とても穏やかです。安心と幸せの中にいます。

50年ほどの歳月が流れ、先ほどの机と椅子が朽ち果てて、森の奥深くにあったらどうでしょうか。人が見たら「こんなところに誰が捨てたんだろう。しょうがないなぁ」と思うかもしれません。この思いは、これら机と椅子をすでに机と椅子とは思っていません。しかし森にいる小鳥たちには、壊れた机が、となりの大きな木に飛び移るのに丁度良い止まり木になっていると思っているかもしれない。壊れた椅子は小動物の遊び道具になっているかもしれない。机と椅子への認識が変わります。

「万物、土に還る」という言葉があります。さらにたくさんの時間が過ぎて、雨風の中、机と椅子はその形を少しも留めず、土に還り、ほかの枯れて土に還った植物と一緒に混ざり合う。机という実体はないけれど、ここに机はある。椅子という実体はないけれど、ここに椅子はある。

万物に固定的な実体はなく、変わらないという「不変」もない。本質は空(くう)というなかで、その存在を認識すると、そこに在る。すべての生命同士が、お互いに何かを認識し合い、思い、語り、伝え合う。今、すべてがひとつという思いを感じています。

ゆっくりと、もともとのあなた自身を感じていきます。
目を閉じたまま、だんだんとご自身に戻っていきます。
自分自身を感じていきます。全身を左右に少し動かしてみてください。
手の平を広げてください。

「認識することで喜びや幸せが生まれる」という「意識」を今ご自身に感じています。「空(くう)であるのに色(しき)という存在を認識し合える」その幸せを感じています。ご自身がかけがえのない存在であることを思い、安心と幸せに包まれていることを感じます。

ゆっくりと目を開けてください。
ありがとうございました。
今、素晴らしいエネルギーに包まれ、満たされています。
すべてがひとつということは、あなたはすべての命「ひとつひとつ」であるということです。
良い一日をお過ごしください。」

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