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抽象度を上げる「人間はなぜ生きているのか」という問いによくある返答について考える

「人間はなぜ生きているのか」
この問いによくある返答がある。

「人間は成長するためにこの世に生まれる」
「何かを学ぶためにこの世に生まれている」

では質問。

①それはいつからそう思うように(定義するように)なったか
②どこからその考えが出てきたのか

つまり、それは誰かや何かからの意見を自分が納得して応用したのか、
自分の内からそう思うようになったのか。


人間が始まって、少なくとも数十万年。
私たちが知る限りの数千年で争いは続き、未だに飢餓や貧困問題があり十分な生活ができていない人がいる。

子どもの頃に学んだ世界の状況。
あらゆる機関があるのにどうして未だに多くの飢餓と争いがあるのか。


一体人間はなぜ生きるのか、存在するのか、発生したのか。

それに対する「あらゆることを学ぶため」という多くの返答。

もしこれを読んでいるあなたがそう思っているのなら、その考えはどこから?

自分が経験する中でそう思うようになったのか。
それとも誰かや何かの影響か。よく観察してみてください。

「あなたの成長のために全てがある」
こういう言葉をただ受け入れて、あたかも自分の考えのようになる。
それは個人から発生した考えではない。

いわゆるスピリチュアルというカタカナの分野から出てくる言葉。


成長のためにこの世があるのだとしたら、どうして数千年だけの知っている歴史の中で今の混沌が続いているのか。

個々の成長が一体何につながるのか?


「人間は成長することが目的」というその発想がどこから来たのか、ということが重要。


それが何の言葉や思想を知らない「自分」の中から出てきたものなのか、それとも誰かの言葉であるのか、ということ。



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