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文字通りの「スペースオペラ」としての「巨神伝説イデオン」

最近、YouTubeで「巨神伝説イデオン」が公式放送されている。有名な作品だが見たことがなかったのでチェックしておくかと思ったのだが、色々と感想が発生したので、メモがわりにちょっとした記事にしたいと思う。

全体的な感想

この作品のストーリー(脚本)だけを見た場合、「悪くはないが、だるい」というのが正直な印象である。

悪くは無いと言うのは、話を回す要素自体は揃っていて、前半は(1)不可解な挙動をするロボットの謎を解き明かすこと(2)逃避行と、頼るべき人々から見捨てられる話を動機としている。後半は解き明かされた謎から予想される破滅を回避しようともがいて失敗する話が動機になっており、ここに仲間内での不和と敵味方の愛憎劇が挟まる格好になっている。脚本の全体像を見ると特段おかしなところはない。

ただ、作話上のギミックに比して39話という回数は長く、これを全部やろうとするとアニメでも小説でも漫画でも間延びしてかなりだるいというのが正直な印象である。当時でさえ間延びした印象を抱かれていたのに、早回しが好まれるYouTubeの時間感覚のご時世においてはさらに間延びした印象を受ける(正直相当飛ばし飛ばしで見ている)。もしリメイクするならば、劇場版含めて全体で2クール26話が適正な長さだろう。

ただ、今まで放映されている前半部分だけでも、各話のクライマックスは映像と音楽でエモーショナルに仕上がっている。劇場版もみんなでドンパチやって全滅エンドで、これは監督本人が言うように安易なストーリーだが、プロットだけ見れば「お互いに解決策を見いだせず全員死ぬ」というストーリーをちゃんと悲劇的に描くには相当な演出力がいるわけで、それは実現している。

古典演劇的な悲劇

以上のような「イデオン」の作品としての特徴を洗い出してみると、これが古典演劇を踏襲していると考えれば納得できる要素が多い。

古代ギリシアの演劇では、悲劇が多かったことが知られているが、当時の世界観を反映して「まず悲劇的な終末が神託によって予言され、主人公たちはそれを回避しようと試みるが、それが裏目に出て予言が成就し主人公たちは(全員)死ぬ」「殺し合いが発生する理由は、愛憎のもつれ」という展開が多い。

例えば「アガメムノン」では予言者カサンドラが「アガメムノンは妻の恨みを買っているので彼女に殺され、自分もその巻き添えで殺される」ことを予言しその通りになる話である。他に「トラキスの女たち」では主人公の女性は、夫が浮気したと聞いて浮気防止薬を送るが、彼女は騙されており実はそれは毒薬で、それにより夫を殺してしまい、彼女も自殺する、という話になっている。

こういった特徴は、後々のヨーロッパの演劇にも受け継がれており、例えば近世イギリスの代表的劇作であるシェイクスピアの悲劇デも予言・神託(マクベス、ハムレット)、敵味方関係での男女関係のもつれ(ハムレット、ロミオ~)、全滅エンド(マクベス、ハムレット、オセロ、ロミオ~)の要素で構成されているものが多い(特に「ハムレット」は全て満たす)。

オペラというジャンルは古代ギリシアの演劇の再興を意図していたこともあって、その特徴が多く引き継がれている。オペラの代表作品と言える「アイーダ」でも、神託によって主人公が将軍に選ばれるが、主人公は敵国の姫と密かに情を通じていたため、愛憎のもつれと戦争のために最終的に主人公、ヒロイン、ヒロインの父が全員死ぬという話になっている。

オペラとしての「イデオン」

「イデオン」はこういった演劇の悲劇パターンを踏襲しており、二国間の男女のカップルとその周辺人物の愛憎のもつれで戦争が激化し、物語冒頭から提示されている予言(イデ神話)が最終的に成就して全員が死ぬ、というパターンで完結する。

また、いわゆる「板野サーカス」など視覚的ギミックやすぎやまこういちの管弦楽に傾倒した曲などの演出力が評価されているのも古典演劇的である。映画「発動編」はその向きが強くなり、最終的に「交響曲イデオン」という形で完全な管弦楽フォーマットにしている。ギリシャ演劇に、シェイクスピア、オペラのいずれにしても、役者の演技や歌唱も鑑賞対象として重要な位置を占めるし、管弦楽と視覚演出を楽しむという点で「イデオン」はさらにオペラっぽくなっている。

冒頭で、「イデオン」は各話のクライマックスは映像と音楽で押し切っている場合が多いと書いたが、むしろ映像と音楽を生かそうとするとストーリーはある程度ベタに押さえておいた方が良い、という解釈の逆転も可能である。歌舞伎なども役者の演技のケレン味を鑑賞するために話自体はベタでセリフの長さも抑えられているが、それと同様である。

全体的に言えば、「イデオン」は宇宙を舞台にしてオペラの演出作法で作られたアニメ作品であり、正しく「スペースオペラ」ということができると思う。スペースオペラという語は「ハードSF的考証がなく単に宇宙を舞台にしただけの娯楽活劇」程度の意味で「オペラ」にあまり意味はない。「イデオン」もハードSFではないからスペースオペラの末流と言えるが、ただ他の多くの「スペースオペラ」と異なり、この作品はプロットや演出法がオペラのそれをうまく換骨奪胎して踏襲できているので、この作品はむしろ堂々と「オペラ」を名乗ってほしいとさえ思っている。

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