最近広告によく挟まるあの作品の「なろう」版の感想

私のTLに挟まる広告は基本漫画が多く、最近は「ゾンビのあふれた世界で俺だけが襲われない」という漫画の広告が良く入る。広告だけならスルーしているところだが、この広告の「チート能力で他人の尊厳を踏みにじる」というシーンが印象深いためかコラ画像もよく見るようになり、そちらが気になったところで、この作品が実はなろう小説だったということを知ったので(素人投稿小説の商業化なら自分のTLの広告に挟まるのも納得)、素人投稿小説評論の一環としてちょっと読んだ結果をまとめておく。

胸糞レイプ官能小説ではなかった

広告だけ見るとチート能力を与えられた主人公が胸糞悪いレイプ行為をしているエロ作品に見えるが、小説版を読むとそういう気配が薄いことが分かる。というより官能小説ですらない。

0130回 〇〇〇〇〇 〇〇🤢〇|〇 〇🤢〇😡〇 〇😡〇〇〇 〇😍〇〇〇 😍😍〇〇〇
31~60回 〇|〇😨〇〇 〇〇〇〇〇 〇〇〇🥰〇 〇〇〇〇〇 〇〇〇〇😍 〇〇〇〇〇

〇:官能シーン無し
🤢:女ゾンビ屍姦 😨:女ゾンビ屍和姦
😡:ヒロインA強姦 😍:ヒロインA和姦
          🥰:ヒロインB和姦

全60回中、官能シーンがあるのは10回である。うち屍姦が2回、強姦が2回で、第20回以降の残り2/3で出てくる官能シーンは全部和姦というかイチャラブセックスの類である(広告のシーンは第14話)。特に後半30回はヒロイン3名(ゾンビ含む)と1回ずつ和姦して終わりで、官能小説として考えるには申し訳程度のセックスシーンでかなり淡白な部類になる。男性向けエロ作品はほぼ全話官能シーンあり、エロ漫画はページ数の8割がセックスというのが当たり前なので、この比率はかなり小さい。

広告に使われているシーンだけ見ると、主人公は胸糞悪い行為をしており、その胸糞ができるよう都合のいいシチュエーション(表題「ゾンビのあふれた世界で俺だけが襲われない」)が組まれているように見えるが、後の描写から逆算すると、都合のいい特権的能力を持たされた主人公と言えどリソースには限りがあり助ける人を選ぶ命の選択を迫られており、そこで良心の呵責に耐えられない主人公が「自分は利己的な人間で自分に都合がいいからこの人を選んで助けている」と思い込むために広告のシーンを持ち出している、という構造になっている。儀礼的な行為なので主人公はヒロインの「手コキまでしかしない」という抵抗を気にしておらず、ヒロインが主人公の真意、騎士ムーヴに気づいて好きになってしまい本番セックスを申し出る場面では、主人公のほうが面食らう描写になっている。30話以降は胸糞ムーヴは全く見られなくなる。広告だけ見ると完全に詐欺だろう。

以上の通り、作品としてはかなり早い段階でイチャラブエッチしかしなくなり、非人間性描写のためにオナホ扱いで登場させた女ゾンビとの間ですらイチャラブさせているので、作者はかなり「かわいそうなのは抜けない」タイプで、悪人を書きたいという当初構想がグズグズに崩れたのではないかなと推測する(挙句にはヒロインを最後に自立させる)。むしろ、ヒロインの求めに応じてヒロインが気持ちよくなるようかなり努力してセックスしている感じで、ヒロイン目線の描写がちょくちょく挟まってクリムゾン作品の文章版のような印象もあり(例えば26話)、ハーレムは形成されず(主人公はむしろ一途)、途中ヒロインの幼馴染の男が出てくるのがNTR要素かと思いきやその気配はなく少女漫画やレディコミの当て馬男っぽいところがあり、作者が女性だったとしても驚きはない(男性でそういう趣味かもしれないが)。女性が胸糞レイプを描くのかという疑問もあろうが、FANZA調査では痴漢ものはむしろ女性に人気である、ということは留意が必要だろう(もちろんファンタジーの中だけの話だが)。

この作品が本当に書きたかったもの

この作品の主題は、作者が掲げている通り「ゾンビによって壊滅した現代社会で、一人だけゾンビに襲われない男が、好き勝手する話」——すなわち典型的なcosy catastrophe作品(戦後イギリスで流行した、世界が破滅したが自分だけは安全圏にいる類型)である。タイトルにある通り、catastrophe(ゾンビのあふれた世界)の渦中だがcozy(俺だけが襲われない)、という描写がこの作品の主軸になっている。この作品における官能シーンはcozyさの表現の一環に過ぎない。近来のゾンビものではお約束のバトルシーンもあるにはあるが、技術・コミュニティの維持と再建が話の大半を占める。

それが極致に達するのが第42回「手術」で、やたらと微に入り細を穿つような盲腸手術の描写は、官能小説としてもゾンビパニックものとしてもどちらにしても必要なのか疑わしいものだが、作者の「これは書きたかった」という熱量は感じる。このあたりの小説技巧的に意味のない細かさは男性っぽさを感じるところではある(あるいは作者が別件で術式を勉強中で半端な描写が我慢ならなかったのかもしれない)。

気化麻酔薬や、特定の筋弛緩剤によって引き起こされる、極めて稀な症状だ。遺伝子を因子として、一万人に一人の割合で発生するが、男児は特に発生率が高い。何の対処もしなければ、体温が上がり続けて筋組織が崩壊し、腎不全を起こして死にいたる。致命的だ。だが、特効薬はある。
(ダントロレンナトリウム!)

――ゾンビのあふれた世界で俺だけが襲われない 第42回「手術」 より

cosy catastrophe作品は、社会のしがらみを断ち切って自給自足の隠遁願望の別表現という趣もあり、リアルなら方丈記のような作品になるところが、中国古典文学における桃源郷のような表現になることもあり、その末裔として世界が破滅して自給自足生活を送る、というパターンがありえる。この作品も主人公は一人で生きたがっておりその傾向は強い。

また、cosy catastrophe作品は「人口が減りすぎたので、分業社会で生きてきた常人でもいっぱしの専門家として尊重される」という、異世界転生ものと共通する「現代技術チート」要素もある。加えて主人公は「俺だけがゾンビに襲われない」天来チート能力を得ているのでますますその気がある。もともとcosy catastropheという言葉は「なろう小説」という言葉で括ったのと同様の批判的な意味で造語されているのでそういう面はあるが、ただ私はそういう「なろう小説」を含めて昔からどの国にもあるもので文学の豊饒さの周縁として認識しているので、「素人の書いたくだらない作品」という扱いはしたくないということは以前にも書いた通りである。

文章力について

最後に、この作品の文章力についてだが、破綻した文が出てくることは少なく、素人小説投稿サイトの作品としてはかなり読みやすい部類に入る。とはいえ小説のプロと言えるほどの文章技巧はなく、特に主人公のガラの悪さ、ぶっきらぼうさの表現のための口調だけが目立って拙劣である。全体的に、素は学があるがエンタメ小説の経験が多いとは言えない素人の作品、という印象であった。




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