エプシュタインの暴走

1 序論

 本記事では, Epstein, Gerald A.(2019),What’s Wrong with Modern Money Theory?: A Policy Critique, Macmillan, Palgrave.(徳永潤二・小倉将志郎・内藤敦之訳『MMTは何が間違いなのか? 進歩主義的なマクロ経済政策の可能性』, 東洋経済新報社, 2020年. 以下, エプシュタイン本と略記する)における, エプシュタインのMMT理解として, 不適切であるところを記述していくものである. 具体的には, エプシュタインが「第2章では, 本書の分析の予備的知識となるMMTの財政金融政策の基礎理論について簡潔に整理する. 次に財政金融政策をめぐる議論にとって重要となる主要な経済変数(インフレーションとハイパーインフレーションの決定要因, 財政赤字の影響, そして金融政策の影響など)の決定要因について検討する」(エプシュタイン本, 邦訳41ページ)と述べていることから, エプシュタイン本の第2章「MMTの基礎理論と主権通貨発行による政府債務ファイナンスの持続可能性」が, 本記事の主な対象となる. その際に, MMT論者の文献として比較するものとして, Wray, L. Randall(2015), Modern Monetary Theory; A Primer on Macroeconomics for Sovereign Monetary Systems 2nd edition, Basingstoke : Palgrave Macmillan.(島倉原監訳・鈴木生徳訳『MMT 現代貨幣理論入門』, 東洋経済新報社, 2019年. 以下, レイ本と略記する)を用いることとする.

2 本論

 エプシュタインは, MMTのことを次のように説明する. 「現代貨幣理論(Modern Money Theory)は, その他のポスト・ケインズ派の経済思想と同様に, もちろん, ジョン・メイナード・ケインズ, そして, ジョーン・ロビンソン, ハイマン・ミンスキーなどからの着想を得ているポスト・ケインズ派経済理論の一派である」(エプシュタイン本, 邦訳52ページ)ところが, この引用は早くも, レイの説明と抵触する部分が登場するのだ. レイはMMTについて次のような説明を行っている. 「MMTは, ジョン・M・ケインズ, カール・マルクス, A・ミッチェル・イネス, ゲオルグ・F・クナップ, アバ・ラーナー, ハイマン・ミンスキー, ワイン・ゴッドリーなど, 数多くの碩学の見識の上に築かれた, 比較的新しいアプローチである」(レイ本, 邦訳38ページ)エプシュタインのMMTの説明において, 奇妙に思われる点は, MMTをポスト・ケインズ派経済理論の一派であるとして「限定」してしまっている点である. さらには, エプシュタインは何故だか, 貨幣は信用であるということを喝破したイネスの名前や, 資本制生産様式について, 詳細な検討を行なったマルクスの名前を, 自らのMMTの説明文の中に入れないのである. MMTは, レイが述べている通り, アプローチなのであって, 理論という名に収まるものではないのである. つまり「MMTは, 理論の様々な要素を大幅にアップデートし, 統合してきた」(レイ本, 邦訳38ページ)のである.

 エプシュタインは, MMTが中央銀行と国庫を統合して, 単純化した議論を展開することがあるが, それは, 実態に伴っていないとして, 次のようなことを述べる. 「ラヴォワが論じるように, 大部分の制度的環境において, MMT派が想定するような中央銀行と財務省の「統合」は実際には存在しない. 例えば, FRBは一定額を超える国債を直接購入することは法的に禁じられている. その代わりに, FRBは国債を流通市場において購入しなければならない. それゆえ, MMT派によるFRBが自動的に政府の支出をファイナンスするという主張は正しくない」(エプシュタイン本, 邦訳58ページ)これに対して, レイは, 統合否定論者を揶揄するように次のようなことを言っている.「FRBと財務省は, 自分たちが何をしているのかわかっている. 我々はどうすれば分かるだろうか? 小切手は不渡りになっていないし, FRBは誘導目標レートを達成している. 我々は, もし財務省小切手が不渡りになり始めたら, 連邦議会が介入し, FRBの議長を叱責すべき時であることが分かるだろう. そんなことでも起きない限り, 統合否定論者には黙っていてもらおう」(レイ本, 邦訳214ページ)要するに, エプシュタインは, MMTが分析してみせた「国庫と中央銀行のオペレーションの協調に関する詳細な研究」(レイ本, 邦訳38ページ)について, 理解できないでいるか, そもそも理解しようとさえしていないのだ. こんな態度でどうしてエプシュタインは「ポスト・ケインズ派の貨幣金融理論の世界的な研究者の一人」(エプシュタイン本, 邦訳186ページ(186-213ページには, 訳者解説が記されている))でいられるのか, 本記事の筆者には, まるで理解ができないのである.

 エプシュタインはさらに, MMTが貨幣にばかり注目してきて信用については重要視していないなどとして, 次のように述べている. 「ポスト・ケインズ派の経済学者たちからのMMTに対する第二の重要な批判として, 中心的なマクロ経済金融変数として信用ではなくむしろ貨幣に焦点を当てている点が挙げられる. そのこともまた, 問題となっている制度的な観点から見たMMTのマクロ経済政策アプローチの特異性に帰着することになる」(エプシュタイン本, 邦訳62ページ)しかしながら, これはMMTの基本認識であるところの, 貨幣は信用であるということをエプシュタインが無視していることを示していることになる. レイは適切に, 貨幣は信用であることを次のように表現している. 「貨幣はすべて債務証書であり, 支出するか, 貸し出すことで創造される. 貨幣の発行者は, 支払いを受ける際にそれを受け取らなければならない. 貨幣は, その発行者に直接または間接的に支払いをしようとする人々によって受け入れられる」(レイ本, 邦訳48ページ)つまり, MMTの議論の仕方では, 貨幣を語ることは信用を語ることに等しいのである. この点を, エプシュタインが全く捉えられていないのだとすれば, まさかとは思うのだが, エプシュタインが商品貨幣論の世界に生きているのではないか, と筆者は皮肉として述べざるを得ない状態に陥るのである.

 エプシュタインは, さらにさらに, MMTの議論に基づく税のあり方について次のようなまとめをする. 「MMTの主張によれば, 完全雇用水準に達する直前において税率は非常に低い. そして完全雇用水準を超えると, 突然, 政府は大規模に税率を引き上げようとする. そのときわれわれは大規模な不安定性をどのようにして回避できるのだろうか」(エプシュタイン本, 邦訳66ページ)しかしながら, このエプシュタインの理解も奇妙なのである. というのも, MMTが完全雇用と物価安定とを同時に促す政策として就業保証プログラム(Job Guarantee Program)を提唱しているのだが, そこで定められる統一基準賃金には次のような効果があるからである. レイはその点を次のように述べている. 「統一基準賃金は景気過熱時にインフレ圧力を, 不況時にはデフレ圧力を弱める. 景気過熱時には, 民間の雇用主はプログラムの賃金に上乗せした賃金を支払い, プログラムの労働者から従業員を採用することができる. このプールは雇用の「予備軍」のような役割を果たし, 民間雇用の増加時に賃金上昇圧力を抑える. 景気後退時には, 民間で人員削減にあった労働者は就業保証プログラムの賃金で働くことができる」(レイ本, 邦訳411ページ)つまり, 就業保証プログラムにかかる財政支出は, 民間の景気状態と反対になる, 言い換えれば, 民間が景気後退時ならばその財政支出は増加し, 民間が景気過熱時ならばその財政支出が減少する, ということが, MMTの認識なのである. このような就業保証プログラムの特質を, エプシュタインが, 少しでも理解していれば, どうして, 完全雇用水準を超えた瞬間に政府が, 大規模な増税を行うのがMMTの主張である, などという珍説を述べることにはならなかっただろう.

 エプシュタインは, 「負債の「持続可能性」は有限の政府債務の対GDP比として定義されるが, それは負債の金利と比較したGDPの成長率次第であるという点が重要だ, ということは広く理解されている」(エプシュタイン本, 邦訳70ページ)と述べた上で, 次のように述べている. 「政府債務の水準の持続可能性については, いかなる水準においても懸念の対象とすべきではない, というMMTの主張はさらに疑わしいものである」(エプシュタイン本, 邦訳68ページ)ところが, レイはこのような負債の「持続可能性」の議論はまやかしであるという姿勢を, 次のように述べている. 「カロリー摂取量(吸収フロー)とカロリー燃焼量(消費フロー)を一定にして, 2つのフローの差がストック(体重の増加, つまり, ぜい肉の形をした「貯蓄」)として一定のスピードで蓄積されることを前提としていたのだ. そこでは, 行動や代謝の調整が想定されていない. 不合理な前提を置いて極限まで計算を行えば, 究極の不合理にたどり着く. 論理的に不合理な結論に至るものは, それ自体が(前提として)持続不可能である. お分かりのとおり, これが, 米国の財政赤字が持続不可能だと「証明」するために, 赤字ファイターたちが使ういかさまゲームの手口である」(レイ本, 邦訳144ページ)この比喩的な引用の言いたいところは, 要するに, 財政赤字の大きさやその継続期間などによって, 人々の行動は変容するのであるから, そのような変容を無視した数学的議論による, 負債の「持続可能性」の議論は無意味であるということだ. エプシュタインは, どうしてここまで, MMTの主張を精査せずに, 曲解することが得意なのだろうか. 本記事の筆者は, 理解に苦しむのである.

 エプシュタインは, MMTの掲げる政策を実際に実行するのならば, 次のようなことを意識しなければならないと述べている. 「MMTの一部が主張してきたように, 「変動為替相場」だけではそうした国々[途上国]を解放する万能薬にはなり得ない」(エプシュタイン本, 邦訳77ページ, [ ]内は引用者による)この引用の意味を, もし, 変動為替相場に移行することがMMTの政策を実現する万能薬である, としてエプシュタインが認識していて, それについてMMTが間違っているということを表明しているものだとしたら, それはエプシュタインの認識が間違っていることを示すことになる. MMTはただ次の点を述べているに過ぎないことを, レイは次のように述べている. 「我々は, 変動相場制の主権通過を採用する途上国政府は, 国内通貨を求めて働く気がある国内の全ての資源を雇う「支出能力」があると主張しているだけである」(レイ本, 邦訳516ページ)さらにレイは次のようにも述べている. 「正直言って, ネパールは変動為替相場制にした方がよいのかどうか, 私には分からない. 世界の最貧国の多くにとって, 為替相場制度はさほど重要な問題ではないのではなかろうか. MMTの批判者は, このようなケースを指してMMTが間違っている証拠だと言う. 彼らは, 貧しい国々が直面する問題の解決策を見つけてみろと我々に迫る. MMTが, 途上国が直面している複雑な問題に対して単純な解決策を見つけられなければ, とにもかくにもMMTは間違っていると言う. まったくもって奇妙な主張である」(レイ本, 邦訳515-516ページ)つまり, MMTは何も変動為替相場に移行することが万能薬である, などとは言っていないのである. 言っていないことに対してエプシュタインがケチをつけている様を見ると, エプシュタインの学者としての誠実さに疑問符を持たざるを得ないのではないか. 本記事の筆者にはそのように思われて仕方がないのだ.

3 結論

 エプシュタイン本の第2章だけであるが, エプシュタインのMMT認識がいかに, MMT論者たちの言葉から乖離してしまっているかを示すことに, 本記事は成功しているように思われる. 『MMTは何が間違いなのか?』などと言う本を執筆したエプシュタインと, こんな駄作を平気で和訳してしまう出版社並びに翻訳者に対して, 本記事の筆者は最大限の感謝を申し上げたい. つまり, エプシュタイン並びにこの本の翻訳者が, MMTをほとんど理解していないと言うことを示す証拠として, エプシュタイン本は有効に活用できそうだからである. 本記事の内容について疑問を持たれた方は, どうかレイ本や, その他のMMT文献(本記事の筆者の判断する限り, 日本語媒体で信頼できるものは, 望月慎(2020), 『図解入門ビジネス 最新MMT [現代貨幣理論] がよくわかる本』, 秀和システム. のみである)を自ら読んでいただきたいと思うのだ.

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