対話 2021年10月27日
とある人「本当にやめましょう。頭が悪くなりますよ。「債券ではないがIOUであることには変わりはない」とか研究者が使ってよい言葉づかいではありません。AはAである。BはBである。包摂する概念はCである。丁寧に切り分けましょう。」
とある人「貨幣
財物
債権
契約
その他もろもろですが、あなた方の言葉遣いはあまりにも一般的定義とかけ離れています。まずは一つ一つの語の定義を詳らかにしてください。私はほとほとあきれ果てましたので、今後の議論はご遠慮いただきます。nyun一派と手を切れることだけをお祈りしておきます。」
nyun「ここ、日本人は決定的に弱いよなあ。プロもアマも、問題の所在すらわかっていないのだよね。言霊っていう概念があるのに、明治以降は教育がそれを徹底的に「オカルト」みたいに扱っていちいち叩いてきたわけだ。(んだから言葉と物、くらいはですね。。。)通じる人がいるのは幸いなことです。
いつもありがとう。」
ヘッドホン「どういたしまして 繁体字を殺して中国は簡体字という言語を作り出しましたように, 日本も同様なのでしょうな」
nyun「これは読んでくれたよね?
そういう意味では日本はまだ希望があるかもね。
中国や韓国よりは?」
ヘッドホン「物と心, 流れとよどみ, 知の構築とその呪縛, 新視覚新論を読みましたね」
nyun「ことだま論、は1973。。。
この時点ではこういうものが真面目に議論されていたのになあ。」
とある人「昨日知ったばかりの定義でなぜどやれるのかわからない。物事の理解が平面的すぎる。言葉の奥深さを知らないのだろうか?」
nyun「いかにも土方プログラマというか。。。」
ヘッドホン「土方プログラマとは?」
nyun「仕様書に書いてある通りにプログラムを書くだけの仕事をさせられる人たちが自虐的にそう言うことがあります。」
ヘッドホン「そうなのですか」
nyun「IT土方、と言いますね。無意味な論文が業績になるのと同じでw 何かプログラミング言語を扱ったことはありますか?」
ヘッドホン「ありません」
nyun「たとえば統計ソフトのRとか、エクセルのマクロとかそういうのでもいいのだけれど、若いうちに縁がある言語を一つ二つ知っておくといいかもね。ああいうのは、言語体系内で論理が閉じることがとても重要なんだよね。
ライプニッツVSスピノザみたいな話になる。」
ヘッドホン「なるほど」
nyun「職業プログラマは論理を閉じるのが習性になっちゃうんだよね。
自分もMMT前はそういうところがあったよ。」
ヘッドホン「閉じないとエラーが弾き出される, ということがその習性を強化する」
nyun「それと、二つの言葉の意味が重なることは許されない世界なんだね。論理が線形だから。フローチャート思考になる。フローチャート https://t.co/j1VaU5DGzI?amp=1 ところが人間の思考は、マインドマップ的に発散していくものであるから、フローチャートで書くことは思考の限定になるわけだ。」
ヘッドホン「フローチャートの中を自由自在に動いているようで, フローチャートから外へ出ることはできない」
nyun「マインドマップは、それぞれの語が自由だからその内側も外側も同時に考えることになるよね。これもまさに、ヘーゲルが陥った罠ですよね。これも、もっとうまく表現できるようになるよ」
ヘッドホン「「絶対的存在論そのものが, ヘーゲルにおいては近世という特定の歴史的地盤の上に成立したものであり, 近世合理論の所産であり, そのおのずからの哲学的表現である. その意味でそれはむしろおのずから歴史的存在論であるが, そのことを意識せず, 従って彼自身の云う「すべての哲学は時代の子である」ことを, 彼自身の哲学についてはしらなかったのである. 従って彼はただ, 歴史を「永遠の相の下において」のみみて, 歴史に限界を立てることができなかった」(武市健人『ヘーゲル論理学の体系』こぶし文庫, 287ページ)」
nyun「まったくそう思います。彼の時代はドイツ統一前だけれども、、ドイツ統一はゴールに見えたのかなあと。」
ヘッドホン「歴史の終焉」
とある人「ヘーゲルの法哲学も読んでこいと言われた。残りの大学生活はもうこれで確定だろう」
nyun「すばらしいね 順番としては精神現象学でないと、だけどさw」
ヘッドホン「「わたくしをなやませた疑問を解決するために企てた最初の仕事は, ヘーゲルの法哲学の批判的な検討であった」(マルクス『経済学批判』岩波文庫, 邦訳12ページ)」
nyun「先日の一光さんとのやりとり把握されてましたっけ?」
ヘッドホン「いいえ」
nyun「では、こういうのをひとつ。 https://note.com/nkms/n/na2e4e83381f0」
ヘッドホン「一読しました」
nyun「読めばよいというものではないということがよくわかるのだけれど、考えちゃうよね。」
ヘッドホン「>彼がフォイエルバッハの「主語と述語の転倒」という批判の論理を支える宗教批判の構図、すなわち現世と来世、此岸と彼岸への人間の分割という構図から捏造した「非政治的国家」や「物質的国家」などという勝手な造語に頼らざるを得なかった。
捏造と言いますが, その言葉によって, 語る世界が拡張するのなら, 捏造とは言わないような」
とある人「債務と負債は近似していますが、完全に同一のものではありません。それはそれぞれの定義からも分かるはずです。それこそ一般常識でしょう。私は債権と負債の定義について、専門家が定義しているものを使用しています。
私の常識の問題ではなく、あなたの常識の問題です。」
ヘッドホン「完全に同一のものではない, に対して...」
とある人「債務と負債は一般的には同一のものです。あえて言えば負債は会計用語で債務は法律用語です。厳密には差異があるかもしれませんが、債務ではないが負債であるという状態はあり得ません。どちらがどちらを包摂しているかぐらい考えて発言しましょう。」
ヘッドホン「一般的には同一のもの...
一般的には同一, と述べている時点で, 同一でないことを暴露していると思うのですけれど」
nyun「ほらでた、「一般」」
とある人「MMTの要諦は何かといえば国家財政を複式簿記で見る会計ビューでしょう。そこを理解しないで財政スペースだなんだとバカみたいな一元式で現象を捉えようとするからわけわからない事になる。誰が負債を負い誰の資産になるのか。返すべき債務とそうでない債務の違いはなにか。考えるべきはそれだけです。」
ヘッドホン「勝手にMMTの要諦をでっち上げるー★」
とある人「一般という単語が、あたかも全般かのよう(例外的な特別形が存在しないかのよう)に受け取られ、その解釈が広まっていく、ということなら大いに賛同。」
ヘッドホン「木村くんのこの発言はよくわかりますね」
nyun「(わたくしが引き出したのだー\(^o^)/)」
とある人「「誤読してました」と一言いえばいいものをああだこうだ理屈をつけて言い訳するのは本当に見苦しい。議論の場で一から十まで誤読されては話にならないので普通の人は議論を放棄します。それで「話にならないので切り上げます」というと「どうやら我々の説明を理解してもらえなかったようだ」と来る。理解できないのはあなた方の脳のほうです。」
nyun「笑い死ぬww」
ヘッドホン「うーん. そもそもGiGiさんは, 議論しているつもりになっているのでしょうかねー
自分の言った通りにならないのは相手の責任である(キリッ)」
とある人「本当にまともに文章を読めない。」
nyun「「議論の場」ってさあ。。。」
とある人「まぁ、自分で作った名刺を持ってても誰かに借りがあるわけちゃうからなwとだけ」
nyun「まさにその「場」こそを疑おうという話なわけでねえ。」
とある人「「モズラーの名刺は完全なる負債」で,
「モズラー自身は自分が発行した負債をいずれ必ず受け取らなければならない」とすると,
自分が発行した名刺をいずれ必ず受け取らなければいけないって言ってんだけど,この世のどこに自分の配った名刺をいずれ回収せなあかんと思ってるやつがいるんだよw」
ヘッドホン「しかも, 軒並みBI賛同者が, 同じ解釈に至るようなんですよね
「場」が閉じていて強固であり, そこに安住している...
安定は不安定化する」
nyun「こちらからの向こうが同じに見えるのは、同じ型の場にいる人たちだから。
向こうからのこちらは、それぞれ勝手な解釈をしているように見える。」
ヘッドホン「はい」
nyun「気づいてもらうしかない。」
とある人「MMTの会計論だけを理解してると、マジでBIにそまるのな。
そりゃそうだ、実物資源なんぞ会計でどうにかなると
本気思ってるからMMTをちゃんと読み込まなかったってことだ。
わかったつもりになってしまう。
どんなに思考がキレてる人でも、見たいものしか見ない。」
とある人「シェイブさんってMMTは内生貨幣論の変化球みたいな認識してる気がする」
ヘッドホン「佐藤一光さんも, MMTをPKから眺めようとするんですよね」
nyun「若い世代が出てきている。
マクシムくんあたりはなあ。。。」
ヘッドホン「マクシム=ヘーゲル, とパンゲア=マルクス」
nyun「そうだね」
ヘッドホン「ミッチェルでしたっけ, PKはエネミーだ, と言っていたの」
nyun「他に言いそうな人はいないか。」
ヘッドホン「ミンスキー本人は, PKで括られることを全肯定はしておらず, 金融的ケインジアン, と自称していたようです」
nyun「言葉を重視したとか」
とある人「「ミンスキーは数学の訓練を受けたが、彼は経済学者が物語のアプローチと呼ぶものを好んだ。言葉で表現された考えの方を重視したのである。アダム・スミスからジョン・メイナード・ケインズ、フリードリヒ・ハイエクまで、多くの偉人がこのような姿勢をとった。」(記事より)https://note.com/goetche_chan/n/n3ca8a0419c56」
nyun「われわれの会話はオープンで残すと良いことがあるような気がする。
適当なサービスはないかなあ。」
ヘッドホン「まずは, このDMをnyunノートにコピーするところから...」
nyun「やってくれるの?\(^o^)/」
ヘッドホン「やりますよー(あれ, わたくしのnoteでコピーする流れなのかこれは★)」
nyun「マガジンを作る!」
ヘッドホン「確かsorataさんとのDMをにゅんさんはnoteにしたことがありましたよね」
nyun「手間がかかるのよ。。。」
ヘッドホン「一つ一つ, 再入力する感じですか」
nyun「ザーとコピペしてから整形する感じだったかな。」
ヘッドホン「なるほど」
nyun「wordpress がいいのかな、やっぱ https://t.co/xhHBYvaZ2t?amp=1 Wordpress 使いの誰かを召喚する手があるか。https://t.co/Wi78bS9Phx?amp=1 対話が有効であるのに気づいたのはこのとき。対話というのは「閉じない」から、メッセージが響くのだと思う。プラトンのやり方ってことですね。」
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