宇野弘蔵の言葉メモ とりあえず「その1」

私のnoteの読者であれば,宇野弘蔵という学者が私にどんな影響を与えているかとか,どんな学者であるかとかは,改めて説明する必要はないと思われるくらいに,宇野弘蔵の名前は今までの記事で登場してきているように思われる。ただ,宇野弘蔵を取り上げた記事を読んでいない人もいるだろうから,その人のためにいくつか記事を先んじて紹介しておくとしよう。

・「宇野弘蔵入門
・「宇野弘蔵と批評

他にも宇野弘蔵を間接的にでも取り上げた記事は存在していると思われるが,差し当たり上の二つの記事の少なくともどちらかを読んでいただければ,問題ないように思われる。では,以下に宇野弘蔵の言葉を記していくこととしよう。(ただし,宇野弘蔵の言葉の少なくともその一部は,宇野語法とでもいうべき語り口が存分に発揮されたものとなっていて,宇野のある程度熱心な読み手でないと,俄に意味がわからないという事態に陥る可能性があることを,先んじて申し上げないわけにはいかないのである。)

……

「問題を出されると自己の専門の領域のことであれば直ぐに答えられるということは, 少くとも学問的には必ずしもいえないでしょう. 多くの人々はそれを思想的に答えて, それで理論的に答えたと思っているようですが, それでは何人も納得するということにはなりません. しかもそれは反対をすることもできないような答え方になっているのです」(宇野弘蔵『宇野弘蔵著作集 第十巻』岩波書店, 111ページ)

「常識の範囲を越えた学問的研究の成果となると, 容易に受け容れられるものではない. 受け容れられないとしても, 問題自身を根本的に解決する必要を感じない者にとっては, 断片的に受け容れられるに過ぎないのであって, 寧ろ反対の結果さえ生じて来る. 断片的に学問的成果を取り入れた常識が, 学問的研究を逆に批評するということにもなるのである. こういう常識が, 政治的力をもって来ると, 学問的研究を弾圧することにもなることはわれわれの経験にもなお新たなるところである. 解決さるべき問題の, よって来る原因を明らかにしようとはしないで, 問題を少しでも先に延ばして, 一日の愉安を得たいという常識が, 学問の進歩, したがって社会の進歩にも障害をなすことはいうまでもない」(宇野弘蔵『宇野弘蔵著作集 第十巻』岩波書店, 481-482ページ)

「経済学で景気の予測をやろうなどと考えるのは最も非インテリ的なことといってよいであろう」(宇野弘蔵『宇野弘蔵著作集 第十巻』岩波書店, 498ページ)

「むやみな言動が少くなれば, 無用の混乱が少くてすむというだけである. いうまでもなく, むやみな言動が横行するのは, 社会的にインテリ度の低いことを示すものに外ならない」(宇野弘蔵『『資本論』と私』御茶の水書房, 27ページ)

「流通手段の量の増加が要求せられている場合, 貨幣の補給は資金の形態を通して行われざるを得ないのである. それは実は何人によって生産せられるものでもない使用価値を有する流通手段が資金として需要せられているのであって, 貨幣そのものが商品として販売せられているものとも見ることが出来るであろう. 勿論, 貨幣そのものが売られるのではない. 貨幣の一定期間の使用権が売られるのである」(宇野弘蔵『宇野弘蔵著作集 第五巻』岩波書店, 219ページ)

「現在, 通貨が著しく膨張しながら而も通貨の不足が訴えられているのは, かかる傾向を示しているものといえるであろう. それは通貨の不足ではなくて, 経済的に形成せられる資金の不足に外ならない」(宇野弘蔵『宇野弘蔵著作集 第五巻』岩波書店, 220ページ)

「インフレ政策としての条件が欠けているとすれば, インフレーションによる増産政策は, 勤労者に過度の負担を求めながら産業の復興は進捗しないという結果とならざるを得ない. 通貨は過剰になりながら資金の不足は容易に解消せられるものではないのである」(宇野弘蔵『宇野弘蔵著作集 第五巻』岩波書店, 241ページ)

「ぼくは買って帰る電車の中でもう読んでいるからね, 『グルントリッセ』は. これはたいへんな, おもしろいものが出たと思ったよ. 初めに手にはいらなかったのが残念でしようがなかったのだ」(宇野弘蔵『資本論五十年 下』法政大学出版局, 通算995ページ)

「『グルントリッセ』の面白さは読ませるために書いたのではないので, ぼくらはいわばマルクスの書斎に入ってマルクスの説を直接にきいているように思える点にある. 何にしてもエライものだ」(宇野弘蔵『資本論五十年 下』法政大学出版局, 通算996ページ)

「ぼくはこういう持論を持っているのです. 少々我田引水になるが, 社会科学としての経済学はインテリになる科学的方法, 小説は直接われわれの心情を通してインテリにするものだというのです. 自分はいまこういう所にいるんだということを知ること, それがインテリになるということだというわけです」(宇野弘蔵『資本論に学ぶ』ちくま学芸文庫, 254ページ)

「家では評判がわるいのです. 何もしないで小説ばかり読んでいるものですから, 少し手伝いでもしてくれればいいなんて言われてね(笑)」(宇野弘蔵『資本論に学ぶ』ちくま学芸文庫, 253ページ)

「大学で教わったものはすべて経済学の一般概念としても役に立たない. 価値論だろうが, 貨幣論だろうが, なんにも役に立たない. 山崎先生の貨幣論に多少興味があって演習にも加わったが, 先生の貨幣価値論は, 歴史的に前のものをずっと受け継いでいるという説だからなんにもならない. (笑)だから『資本論』を読んだときにはじめて経済学の概念を知ったようなものだ. ぼくはリカードやアダム・スミスを多少大学生のときに読んでいた. スミスはともかく, リカードは『原理』を通して読んだ」(宇野弘蔵『資本論五十年 上』法政大学出版局, 通算221ページ)

「いや, おもしろくはないけど, とにかく読まなくちゃいかんと思って......しかしぜんぜんわかってないんだ. マルクスを読んではじめてリカードもわかったように思う. のちに東北大学に行ってからもぼくは必ず外国書購読にスミスとリカードをやることを提案して, 自分でも実行したが, それもマルクスを通してわかったからだ」(宇野弘蔵『資本論五十年 上』法政大学出版局, 通算221ページ)

「もっともインフレーションの経済学的究明は, 単にかかるいわゆる貨幣価値の問題にあるのではない. それが社会諸階級乃至諸階層に如何なる影響を及ぼすか等が問題である」(宇野弘蔵『経済原論』岩波文庫, 44ページ)

資本は, 元来, 商人資本的なるものであり, 金貸資本的なるものである. ただこれらの形態では, その価値増殖の積極的根拠を確立することにはならないのであって, 歴史的一社会を支配するものになることはできない」(宇野弘蔵『宇野弘蔵著作集 第四巻』岩波書店, 331ページ)

「商人資本や金貸資本を資本でないというのは, 資本なることばを否定するものであるし, また産業資本の商人資本的一面を見失うことにもなる. GーWーG’ は, 正に資本の一般的定式である」(宇野弘蔵『宇野弘蔵著作集 第四巻』岩波書店, 294ページ)

人の書物を読むのに自分の妄想を加え, しかもそればかりでなくその妄想をたてにして人の書物を批評するとは, よほどのぼせていられるようである」(宇野弘蔵『宇野弘蔵著作集 第四巻』岩波書店, 220ページ)

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