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基準を持つということ
アメリカで飛行訓練をしている時、よく教官から基準を持って飛べ、という趣旨のことを言われた。例えば、VFRで飛んでいるなら、どこを目掛けて飛んでいるのか。その基準さえ守っていれば、ヘディングが狂うことはない。僕がよくヘディングが狂っていたのは、その基準を疎かにしていたからだ。
つい最近だと、教官からこんな質問をされた。トラフィクパターンのdown wind に自分がいて、finalにジェットが入ってきた時、wake turbulence を警戒するなら、ジェットとabeam してから、いつbase turn を開始しますか?何か自分で基準を持っていますか?と。
こういう時は、速度が何knotで、、と計算云々の前に自分で基準を持っているかどうかが問題なのだ。それさえあれば、あとは基準を下に微調整を加えるだけ。
今になって気付く。飛行する時に関わらず、何でも物事に基準を設けるというのは、とても大切であるということに。最近読んだ本の著者は、何かやる時には、センターピンを設定しろ、と主張している。今日英語学習で聞いた企業経営者は、人生におけるNorth star(北極星)を見つけろ、と言っていた。
即ち、どちらも、基準を設けろと言っている。
では、現時点の僕の人生の基準は何であるか。それは、エアラインパイロットになる、いや、なれるということ。そこをぶらさなければ、あとはやるべきことは、見えてくるはずだ。
基準を決めて、ぶらさない。やってみよう。