未明に起きた「何か」

夜中にふと目覚めトイレに立つ。戻ってベッドで横になった途端に何かが始まった。訳もなく涙があふれる。ただただあふれる。

少しして心に浮かんだのは、「もうしんどいよ」、「死を背負って生きるのはしんどいよ」という言葉。

3年前の春、長兄が自ら死を選んだとき、私はその責めを自ら背負うと誓ったようだ。「ようだ」というのは今のいままでそれに気づいていなかったから。

兄が心のバランスを崩してから死を選ぶまでの間に、私がしたことしなかったこと、全て自分が負うべき責めだと思った。

だからかもしれない、葬儀以来これまで、悲しみを覚えたのは数えるほどしかなかった。ことあるごとに自分を責め続けた。

そんな私に接した人々は、そこにある種の重さや息苦しさを感じ取ることがあったかもしれない。それを口にする人はいなかったからわからないけれど。

その後、様々なご縁に恵まれて過ごしているうちに、自分について考える機会が増えた。そして、心を揺り動かされる出来事を何度か経験してきた。

今日の未明に起きた「それ」は、そんな巡り合わせのなせるわざだったのかもしれない。

兄の死を背負って生きることを諦めようとしている私が思い出したのは、小さな頃から抱いていた兄への憧れや尊敬の気持ちだった。

要領が悪くても何事も正面から取り組む姿勢、それは仕事だけではなく、数少ない趣味の世界でも変わらないものだった。音楽の影響も大きく受けているし、今万年筆で書くことの源流には兄の書く字に対する憧れがある。

兄の死を背負って生きる代わりに、兄への憧れを胸に抱いて生きるとしたら、どんな世界が見えるだろう。

そして、私のあり方はどう変わるだろう。私と接した人が受け取る印象は変わるだろうか。

いつか私が他の誰でもない、自分自身のいのちを生きることができるようになるだろうか。

そんなことを今考えている。

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