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世界の全ての出来事について。

数週間前だったかな、
新聞の投書欄で、投稿者の方が
ウクライナ危機のことをおっしゃっていて。

投書では、
今、ウクライナのことを知ることは、
とても大切ではあるが、
世界では、ウクライナだけでなく、
たくさんの地域で紛争が起きている。
それらのあらゆる紛争に関して、
知ることが、大切なのだと思う。
とのような意見だったとは存じますが。
この意見を読みながら、ぼくは、
世界のあらゆる紛争、つまり、
世界のあらゆる物事について、
知ろうとすることは大切、というのは、
やはり、そうだとも思うけれど。
とは言っても、それは、なかなか、
とてもむつかしいことだとも思いました。

たとえば、外務省の
「海外安全ホームページ」で、
世界の情勢による危険情報を見てみると、
現在、ウクライナ全土だけでなく、
アフガニスタン、イエメン、シリア、ソマリア、
リビア、中央アフリカ等の全土、及び、
インド、パキスタン、トルコ、イラク、イラン、
ケニア、エチオピア、エリトリア、ナイジェリア、
マリ、チャド、ニジェール、ブルキナファソ、
南スーダン、コンゴ民主共和国、西サハラ地域、等の地域で、
レベル4の「退避勧告」が継続、また、
世界のたくさんの国では、レベル3からレベル1までの
「渡航中止」や「注意」が出されていることがわかる。

これらの各地域にて、
今、どのようなことが起きているか、を、
ぼくは恥ずかしながらほとんど存じないし、
ましてや、世界の情勢に関して、
詳しく説明できるわけもない。
それで良い、とは、
全く思えないけれど、
ならば、どうしたら、
世界の情勢を知ることができるか?
ということすら、ぼくには、わからない。

そもそも、知ることが怖い、
という気持ちもある。

さらに考えてみれば、
世界のあらゆる全てを完全に知る、って、
不可能に近いのではないか、
とも思われてくる。

たとえば、物事を、
「自分自身に関すること」と
「自分自身にはそれほど関しないこと」で、
分けるとしたら、つまりは、
「じぶんと近いこと」と
「じぶんと遠いこと」で、
分けるとするならば、ぼくは、
「じぶんの近いこと」のほうに
強く関心を抱いてしまう。
つまりはさ、
「肉親」と「肉親ではない人」を、
同じように見ることはぼくにはできない、
と申しますか。。。

恐らく、ウクライナ危機とは、
これはよく言われていることだと存じますが、
ロシアと日本は隣国であるし、そして、
領土問題も存在している。
ともすれば、
今、ウクライナで起きていることが、
他人事だとはとても思えない。

かと言って、
現在、世界で起きている
紛争や戦争や災害や事件や事故を、
他人事だとして考えながら、
何の関心も持たなくてもよい、
というわけではない、とは思うけど。
でも、ならば、どうすれば
世界の全ての出来事を「自分事」にできるか?!
というのは、
ほんとうのところを思えば、
ぼくには、わからない。

世界の全ての出来事について言えば、
ぼくには、
ぼくが住んでいる日本のことも、
ぼくが住んでいる愛知県のことも、
ぼくが住んでいる豊橋市のことも、
ぼくが住んでいるこの町内のことさえも、
ほとんど知らなくって。
そう考えてみると、ぼくは、
この世界についてどう考えたらよいのか、
というのも、わからなくなってくる。

この世界で暮らす
全ての人たちの気持ちも、
ぼくには、想像もできないんだな。

令和4年5月31日


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