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言語の時代。

現在、世界には、
どれだけの言語があるんだろう?
たとえば、
方言的なものまでをも含めたら、
とてつもなく数多くあると思われるけれども。
でも、今後の存続が危ぶまれている言語も、
たくさんある、
というのを聞いたことがある。

原初的な言語が生まれてから、
何年が経つかは知らないけど。
長い時間をかけて作られてきた言語も、
なくなってしまうときには、
なくなってしまう、というのは、
せつなさとはかなさを感じる。

おそらく、どの言語にも、
あいさつがあり、
会話があり、
対話があり、
物語があり、
詩があり、
歌があり、
文学があり、
知識や知恵があり、
古くからの言い伝えがあり、
そして、そこには、
叡智があるのだろう。

つまり、
その言語がなくなれば、
その叡智もなくなってしまう。

ぼくは日本語が母語なのだけれども、
日本語が、どれだけのあいだ、
受け継がれている言語なのかは、
ぜんぜん存じないけど、
でも、おそらく、そのなかには、
たくさんの叡智が込められているんだろう、
というのは考えられる。

そういえば、ぼくはさ、
大学を卒業したころだったかなあ、
じぶんは大学も卒業したわけだし、
日本語はだいたいマスターしただろう!
って思ったことがあるのよね。

でも、まったくもって、
そんなことはなかった。

その後、
日本語には、ぼくの知らないような
語句や文法やレトリックやメタファーや、及び、
書き方、話し方、使い方、考え方、とか、
いや、うまくは挙げられないんだけれども、
そういうものがまだまだあるんだなあ、
と、思い直したんだった。

たとえば、
中学、高校、大学、というような、
学校教育を卒業すれば、
一応、ゲームクリアには成ったとしても、
クリア後のステージのほうが、
だんぜんむつかしくって、
とてつもなく広大で、つまり、
可能性も広がっている、とも言えるやもしらない。

たとえば、教育界隈では、
「これからは英語の時代だ!」
と言われながら、そして、
「英語を学ぶことこそが、
グローバルである。」というのも、
聞いたことがあるけれども。
英語を学ぶことは大切ではあるにしても、
ほんとうに、そういうような、
これからは「英語の時代」であり、
英語を学ぶことが「グローバル」である、
というのも、ぼくにはよくわからないな。

どちらかと言えば、
「英語の時代」と言うよりも、
「言語の時代」と言ったほうが
よいのやもしれない、
と、ぼくは思うのだけれども。

これからだっても、
ぼくは、ぼくなりに、
「言語」を学んでゆきたい〜。

令和4年8月21日


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