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「怒れる」と「ら抜きことば」の考察。

「怒る」ということばをね、
受け身の形にしたのが
「怒られる」だ。そして、この
「怒られる」の「ら」を抜くと、
「怒れる」ということばになるけれども、その
「怒れる」ってば、
「いかれる」という読み方もあるけれど、
ぼくが今回考えているのは、
「おこれる」という読み方のほうだ。

「おこれる」って、
ふだん、言いますか?

と申しますのもね、
このごろふと思ったのですが、この
「怒(おこ)れる」の言い方とは、たぶん、
このあたり(愛知県三河地方のあたり)の
方言かもしれない。

「おこれる」の意味とは、
「おこることができる」ではなくって、
なんて言うのかなあ、たとえば、
なにかが起きたときに、
なんだか腹が立ってきてしまって、
怒りがだんだんと表れて来るような場面で、
「おこれる」とか、
「おこれてくる」とか、
って言うのって、方言なのでしょうか???

この「怒(おこ)れる」とは、
決して「ら抜きことば」ではなくって、
つまりはさ、それを
「怒られる」にしてしまえば、
意味がまったく変わってきてしまうから。

そういうような「ら抜きことば」というのも、
けっこうむつかしいものだなあ、と思うですが。
たとえば、
「食べる」ということばを
「食べられる」として、その「ら抜き」は
「食べれる」になるとはぞんじますが。この
「食べれる」とは、
「食べることができる」の意味だと思うけれど、
その元となっている
「食べられる」という言い方は、
「食べることができる」の意味もあれば、
「じぶんがなにかに捕食される」という
受け身の意味もあれば、
目上の人に対して、ある食事を指して
「食べられますか?」というような
敬語的な表現にもなってくる。
でも、「ら抜き」での
「食べれる」ということばでは
「食べることができる」という意味だけになる、
というふうに思うですが、(ちがうかな?)
それって、ことばとして
けっこう不思議だなあ、と感じられる。

かたや、
「食べる」と同じ意味での
「食(く)う」及び「喰(く)う」では、
「食われる(喰われる)」という
受け身の表現はあれども、でも、
「食わられる(喰わられる)」というような
可能や敬語の言い方は無い。つまり、
「食われる」と言うのは
「ら抜きことば」ではない。

そんな「ら抜きことば」でもね、
「来られる」とか、
「着られる」とか、
「見られる」とか、
「寝られる」とか、
「起きられる」とか、
「借りられる」とか、
「止められる」とか、
「辞められる」とか、
ってゆうことばは、なんだか、
受け身だったり、可能だったり、敬語表現だったり、
が、いっしょくたになっていて、
考えてみるとけっこうむつかしいな。

そう言えば、以前のころ、
「決められる政治」ということばがあったけれど、
そのような政治とは、つまり、
「受け身」の表現なのか、
「可能」の表現なのか、それとも、
「敬語」の表現なのか、ってえのもね、
ぼくにはあんまりわからない。

そんなこと、
言わられても、
決めれなくって、
わかれない。

ららららら〜♪

令和5年4月26日

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