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ひとつ おぼえて

しらないことが、
おおすぎて、
ときに、おちこむ。

それは、もう、
しょうがないんだから。ぎゃくに、
いま、しるチャンスができた。
とおもえば、なんとか
じぶんのこころも、
たちあがることができる。

みたいなことをねえ、昨日とか、
すこし気持ちがおちこみながら、
考えていたんだけど。

そういえば以前、
このことについてみたいなことでね、
とある詩みたいなものを
じぶんの手帳に記したことがあって。
その手帳をあらためて見てみると、
書いたのは2009年だったですが。

かつてのじぶんの手帳から、
そのことばを書き写してみると、、

ひとつ おぼえて
ひとつ わすれる

でも いつか

ひとつ が にげないで
ひとつ が ぼくに 溶けていくならば

ひとつ おぼえて
ひとつ は やがて
おおきくなる

‥‥ってゆうものなんですが。

2009年ごろのじぶんが書いていた
その詩みたいなことばの感覚はさ、
まだ、かなり、
じぶんのなかに残っている。

だいたい、
なにかをおぼえると、
べつのなにかをわすれちゃうし。
それを、どうしたらよいのか?!
ってえのは、いまでも、
けっこうよく考えるー。

かつてのじぶんによれば、
じぶん自身の中に
「溶けていく」ようにおぼえたら、
よいらしい。

なんにしても、
じぶんのしらなさ、とか、
じぶんのできなさ、とか、
じぶんのわからなさ、とか、
みたいなことに対して、
じぶんで向き合うほかないわ。
ってゆう結論にしか至らないんだけれども。

ときに、その果てしなさに、
おちこんだりもするけれど、
ぼくは、げんきです。

令和3年3月8日


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