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習慣化か、義務化か。

なにかを行おうとするときには、
それを日々、繰り返しながら
つづけてゆくことが大切だ、
というふうによく言われている。
つまり、そのものごとを
「習慣化」させることが大事である、
という意味だとは思うけれども。
繰り返して、そして、つづけてゆくようなときに
けっこうネックとなってくるのが、そのものごとが
義務的のようになってしまう。

つまりはさ、義務になってしまえば
つらいと申しますか、いわば、
つづけられなくなってしまう。
だから、義務にはせずに
気楽にやってゆけばよい、
というふうにもよく言われる。
それだけ、義務というのは
忌避されているとも思われる。

ってゆうふうに考えるとして、ならば、
習慣化させながら、でも
義務化にはしない、という状態が
いちばんよいとも思えるけれども。
「習慣化」と「義務化」とは、
どうちがうものなのか? というのは、
ぼくにはよくわからない!!!
そもそも、義務って、そこまで
わるいものなのか、ってゆうのもぼくは
わからないと言えばわからないな。

たとえば、義務教育とは
教育を受ける義務は子どもたちには無くって、
保護者に対して教育を受けさせる義務がある。
子どもが有するのは教育を受ける権利である、
と、日本国憲法第二十六条で定められている。
けれども、おそらく実質的には、子どもたちは
権利だとは思っていなくって、いわゆる
義務のように教育を受けている、もっと言えば、
義務として受けさせられている。
そしてまた、国民の三大義務としての
教育そして勤労及び納税というものも、
国家より負わせさせられているものとして、
嫌悪されている、とも感じる。

でも、これらの義務もまた、
教育を受ける権利があるし、
勤労を行い賃金をかせぐ権利があるし、そして
納税を行うことで公的サービス等を受ける権利がある。

義務と権利は表裏一体だと言われるけれども、
国民の義務のことだけでなくって、
あらゆる義務的なものにはすべて
権利的なもの、つまり、
よいものが含まれている、と考えられる。

ここで今回のブログのさいしょに戻るけど、ぼくとしては
「習慣化」と「義務化」って、
おんなじものだと思うのよね。そして、
「気楽」というのも大切だと思うけれど、その
「気楽」によって、このような
「習慣化」が、言い替えれば「義務化」が
ほどかれてしまったらもともこもない。
だからこそ、たとえば、
気楽な義務化、もしくは
たのしく義務的に行える、
という状況が重要だと思うのよね。

そんなふうに考えてみるとすれば、たとえば、
三代義務としての教育も勤労も納税も、
たのしくできることもありうる、
とも思えるけど、どうなんでしょうか〜???

令和6年6月12日


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