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部屋の換気、心の換気。

コロナ下において、
よく言われるようになった語句と言えば、
「三密」の他には、たとえば、
「換気」なのだとぞんじますが。

「換気」と言えば、ぼくの自宅ではさ、
冬場はガスストーブを使用するので、
換気は必須だし。そしてまた、
夏場でも、じぶんとしては、
エアコンがすこし苦手であるし、
いや、そもそも、じつは
エアコンは故障しているため、
扇風機をつけながら、
窓を開けて過ごしているから、
実質的に換気になっている、というか。

コロナ下のパンデミックにおいて、
部屋の換気が、どのくらい有効なのか?!
みたいなことは全然知らないけれども。
でも、換気って、
冬でも、夏でも、どの季節でも、
大事なものやもしれないし。はたまた、
部屋の空気がこもらないのだとすれば、
気持ちよいものだとも言えるかなあ〜。

‥‥ってゆうところまでを思いながら、
さらに、もっと比喩的に考えてみれば、
人間の「換気」というのも、
大切なんじゃあないかなあ???
と考えてみたのよね。

つまりはさ、人間のね、
「身体」であったり、
「心」であったり、
というような場所においても、
もしも「窓」が開いていなければ、
こもってしまったり、もしくは、
よどんでしまったりする。

それはさ、でも、
部屋の中でひきこもらずに、
積極的に外へ出よう!
的なことでもなくって。

たとえば、外へ出て、
人と会っていたとしても、
心を「換気」していなければ、
よくないんだろうし、逆に、
部屋でひきこもっていたとしても、
心の「換気」ができていれば、
なんとかなる、やもしれない、というか。

そんなような、
心の「窓」を開けながら、
心の「換気」をすることによって、
いろいろなものを出せたり、
いろいろなものが入ってきたり、というような、
循環が生まれる。
そういう循環がさ、人間の身体に対して、
よい作用を及ぼすんじゃあないかなあ。
ってゆうのをちょっと思ったのよね。

ときにはさ、
心の「窓」を開けることによって、
心地よい風だっても、
感じられるやもしれないんだわ〜。

令和4年7月25日