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Resistance

「すきなこと」があるのは、
いいことだ。

それは、もう、
音楽でも、漫画でも、ゲームでも、小説でも、
スポーツでも、車でも、電車でも、写真でも、
動物でも、お花でも、お料理でも、宇宙でも、
イラストでも、ファッションでも、デザインでも、
なんでも、いい。

とは言いつつも、でも、
小学校や中学校にあがれば、
そんなことよりも、
勉強しなさい! と言われたりする。

そのひとにとっての
「すきなこと」が、
「勉強」ならばよいんだろうけれども。
そうでもなければ、
いやいやながら、勉強するかもしれない。
はやくこの勉強を終えて、
「すきなこと」したい!!!!!
って願ったりするかもしれない。

まるで、
「すきなこと」を
「すきなだけ」することは、悪であり、
ぎゃくに、
「いやなこと」を
「いやいやながら」することが、たいせつだ。
と教えられているようにも感じる。

そうして、
怒られないように、ひそやかに、
隠れキリシタンのように
「すきなこと」をつづけてゆくひともいれば、
抵抗するレジスタンスのように
「いやなこと」は何ひとつせず、
「すきなこと」だけをするひともいるだろうし。
かたや、我慢しながら、耐えながら
「いやなこと」をしてゆくひともいれば、
はたまた、いつのまにやら
じぶんの「すきなこと」は何だったのか、を、
見失ってしまうひともいるやもしれないか。

どの人生が、よいか、なんて、
だれにもわからない。

でもでも、
ほんとうのほんとうに
「すきなこと」があれば、
その「すき」の芽を、そだててゆきたいな。

かと言いながら、じぶん自身の
ほんとうのほんとうに「すきなこと」、
ってぇのも、
なかなか、わかんない。。。

ラッセンが、すき〜????!

令和3年3月12日

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