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寂しさの気持ちとパーフェクトな日々。

先日、市内の映画館にて
『PERFECT DAYS』を鑑賞してから、
映画のいろいろな場面のことを思い出しながら、
思ったり考えたりしているですが。

YouTubeで公開されている特別映像の中では、
役所広司さんの演じられる、東京の公衆トイレの
清掃のお仕事をされている「平山さん」の同僚で、
柄本時生さん演じられる「タカシ」が、平山さんに対して
【平山さんってぇ、結婚してないっすよねえ?
 その歳で一人で? 寂しくないんすか?】
と訊ねるシーンを観ることができますが、ぼくも
映画でこの箇所を観ながらタカシの言われるように、
平山さんは寂しいのかどうか、を考えたんだった。

昨日のブログでもすこし申しあげましたが、
映画の主人公・平山さんは、
とても寡黙な男性なので、
どのような人物なのか、というのは
ご本人の口からは語られず、また、
平山さんの周りの人たちも、
平山さんがどのような人なのか、というのを
平山さんの口より聞かないのでよく知らないから、
平山さんについてを話すことができないため、
そういうセリフも無いからこそ、
映画を観ているぼくら観客も、
平山さんの詳しいことについてよくわからない。

たとえば、タカシが
【平山さんってぇ、結婚してないっすよねえ?】
と訊ねるけれども、平山さんは本当に
現在、結婚していないのか? つまり、たとえば、
結婚はしているけれど別居をされているのか、
かつては結婚をしていたけれど、
離婚もしくは死別をされているのか、というような、
本当のところはわからないから。
このタカシの問いかけに対して、
平山さんも答えていないのだし。

映画を観てわかることと言えば、平山さんは
都内(?)のアパートで一人暮らし、
ということだけだ。

映画の場面場面を観るからには、
平山さんは、日々の生活を
ささやかに、おだやかに、すこやかに、そして、
楽しんで、ってゆうことばは
ちょっとちがうやもしれないけど、でも、ご自身なりに
より良く過ごされていると思われる。
でも、もしかしたらタカシが言われるような
【寂しい】という感情を、平山さんは
持っておられるのではないのかなあ?
と、ぼくとしては想像をいたしております。

昨日のブログで内容のねたばれとして申しあげました、
麻生祐未さん演じられる平山さんの妹「ケイコさん」が
とある出来事より平山さんへ会いに来られるとき、
ケイコさんは、すこしだけ
平山さんの過去についてお話しをなされる。
この過去というのは、公式サイトの
「cast」の紹介の中でも記されているのですが、、

父と兄が衝突したとき、自分は何もできなかった。
そのことに負い目を感じながら、
そのせいで十数年兄と会えずにいた。

映画『PERFECT DAYS』公式サイト「cast/ケイコ」より。

かつて、平山さんと
平山さんのお父さんとの間で衝突があった。
それが、どのような衝突なのかは
もちろんわからない。でも、その
父親との「衝突」によって、
平山さんの現在が形成されたんだ、とも思われる。

ここでね、ぼく自身のじぶん語りをしたいのですが、
ぼくの父は約3年前に亡くなり、生前には
ぼくと父とが衝突をするようになってしまったことも
幾度ともあって、それでぼくと父との関係性も変わり、
ここでは詳しくはしるさないけれども、
父自身の生活も変わってしまった。
その数年後父は亡くなって、
だからこそ父が亡くなったのは、そんな
ぼくのせいだ、と思える、と申しあげますか。

ぼくはたとえば、これまで
結婚もしていないのですが、
ぼくの心の中には、そういうような
衝突を起こすような衝動的な感情があって、
なので、そんなぼくは、非道い人間である。
だから、結婚もできないんだろうし、
性格や性質や人間性だけでなく、金銭面的にも
ぼくはこれから先も結婚できないだろうと思うけれど。

なんだか、そんなぼく自身と
映画『PERFECT DAYS』の平山さんとが、
重ねて見られるようにぼくは感じてしまっていた。
つまりはさ、ぼくは他人と話すのも苦手で
あんまりきちんと喋ることもできないんですが、
それを良く言うならば、平山さんのごとく
「寡黙」なのやもしらないけれども。
この寡黙さというのは、
じぶん自身の衝突性、つまり、
じぶん自身の暴力性を感じているからこそ、
「喋らない」のではなくて
「喋れない」なのではないかなあ?
と、じぶんとしては思いながら
この映画でも、そう、ひとつの仮説として
解釈できそうな気がしている。

ぼくは現在実家で母と二人で暮らしているけれど、
いつかはぼくも一人で暮らすようになるだろうし、
そのときには、どのように暮らしているか、
完全には想像はできないけれども。
やはり、寂しさは抱えながら、
でも、なんとか、じぶんなりに
ささやかながら過ごせたら、と、思いつつ。

でも、たとえば、タカシは
【平山さんってぇ、結婚してないっすよねえ?
 その歳で一人で? 寂しくないんすか?】
と話されていたのですが、そういうような、つまり、
結婚をしていれば、もしくは
恋人がいれば、及び、友達がいれば
【寂しい】という感情はまったく無くなるのか?
ってゆうのも、ぼくにはよくわからないな。

人間の本質とは寂しさである、
というのもどこかで聞いたことがあるのですが。
ぼくはまだ、そこまで言えるほどの
経験はおこなってないから、
そうだとは言い切れないんだけれど。
でも、なんだか、たとえば、どんなに親しくとも
別れは訪れるだろうし、つまり、
私自身なのか、それとも、相手なのか、という
どちらかが先に亡くなる日は訪れるのだろうし、
そう考えてみるともすれば、
【寂しさ】の気持ちがゼロになることは無い、
って想像できる、と申しますか。

なんだかうまく言えないんですが、
映画『PERFECT DAYS』の平山さんは
【寂しさ】の感情をひそかには携えながらも、
でも、ご自身なりに、つつましくながらも
素敵に過ごされていて、素敵だなあ!
って、ぼくは解釈をいたしております。

映画のタイトル『PERFECT DAYS』での
「PERFECT(パーフェクト)」とは、
どういうことなのかなあ? ってゆうのはね、
これからも考えてみたいなあ〜。

令和6年1月12日

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