表紙14

其の十一 私有地の地面に生えて

《2008年7月19日・昭和女子大学人見記念講堂にて開催されました吉本隆明さんの講演『芸術言語論 −沈黙から芸術まで』を、ぼくが毎回ほんのちょっとずつ聴いてゆきながら、あらためてどんなおはなしだったのかを思いかえしてまいります。》

はろー、こんにちはー。

前回noteでは、アダム・スミスがしるした「りんご1個の価値」の説明よりさらにこの例を引き伸ばした説明がある。と吉本さんおっしゃった場面でした。はたして、その説明とは、、、

それは、もしこの一本の、一本のりんごの木を。いま考えたけど、この一本のりんごの木が、要するに、どっかの私有地の。なんて言いますか、私有地の地面にこれが生えていたんだ。って言うふうに考えたら、どういう…。(チャプター04 / 古典経済学から芸術言語論へ_7:54〜)

もしも、この一本のりんごの木がどこかの私有地に生えていたとすれば、

あの、このりんご1個の価値が、どういうふうに変化するのか? どういうふうに変わるのか? って言うことも、そのあとで言っています。そのすぐあとで、それも、そのことも言っています。

りんご1コの「価値」はどのように変化するか?!

‥‥と、すこし話しは戻りまして。昨日のnoteでね、ぼくは吉本さんおっしゃるスミスの「価値」の説明って、どこかちょっと単純なようなのかも。っていう、無礼かつ阿呆なことを申しあげたのですが。

それはでもすこし考えてみるとね。たとえば「価値とはなんだ?」って訊かれても、ぼくはもちろんきちんと答えることはできなくって。なぜなら、よくわかっていないから。「価値」ということを。。

そんなんだから、たとえ説明しようとしてみても、なんやらわけわからんことになるだけ。

それを、単純っていうつまりシンプルでスマートに説明をされている。って言うのってば、やっぱりすごい。と感じまして。。。

講演をつづけます。

で、そこでも見事なもんで、あの、えー。たとえば、これは僕が勝手にそういう説明を、あの。なんて言いますか、細かく。すこし細かくしてるわけですが。もし、このりんご一本のりんごの木が、

もしも、この一本のりんごの木が、

えー、こう植わってる、なんて言いますか、幹と根と葉っぱのその範囲が。たとえば、坪。5坪なら、5坪あったと言うふうに仮定したとします。そうすると、

植わってるその幹と根と葉の範囲が、仮に、5坪あったとして。そーすると…

えー、どーなるんだろう??? このつづきは次回noteで聞きますです。どうぞ、どうか、穏やかに。。。

平成28年8月25日



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