転校したときのこと。

ぼくは小学5年生の終わりに、それまで住んでいた愛知県岡崎市からいまも住んでいる豊橋市へひっこしてまいりまして。なので、小学6年がスタートするタイミングでぼくは転校をしたのね。

転校っていうのは、やっぱりさいしょはどうすればよいかわからない、というか。とまどう、というか。慣れない、というか。ぼくのばあいは岡崎も豊橋も愛知県内なので「県」はおなじだけれど、「市」がちがうから、やはりちょいちょいちがうところがあったりして。

いろいろちがいはあったと思うんですが、えーと、どんなのがあったんだっけなあ??? 

たとえば学校に来てゆく服がさ、岡崎で通っていた小学校では体操服&ジャージが制服のようになっていたけど(←当時のこと。いまはどうなっているんだろう?)。豊橋での小学校では、私服だったから。でも、これはそんなにとまどうことはなくてすぐ慣れた。

あとは、校内でのいろいろな呼び方、ってゆうのかなぁ、そういうのがちがった気がする。ひとつ覚えているのは、学校へ通う地区の範囲を示す「学校区」のことをね、岡崎では「学区」、豊橋では「校区」と呼んで。転校してくるまで「学区」と言っていたのがふつうだったから、「校区」という呼び方がさいしょはすこし、不思議だった。

言い方のことで言えば、岡崎と豊橋では「方言」がちょびっとちがう。

方言のちがい、いろいろいくつかあると思うけど。たとえば「話すときの語尾」がさー、標準語で「そうだよ」と言うのを、岡崎では「そうだげー」、豊橋では「そうだらー」なので。ぼくがいきなり「そうだげー」と言えば、なにそれー?! ってなったりした。

転校していちばん慣れなかったのは、給食の「お箸」だったなあ。岡崎では給食センターのお箸が配膳のときに配られてそれで給食を食べていたんですが、豊橋ではお箸は児童生徒各自持参で。それが、ぼくは中学のときまで慣れなくって。お箸を忘れてきたり、洗ってくるのを忘れて学校の水道でお箸を洗ったり。あれは、けっこうキツかった。。。

小学校の転校でいちばんさいしょに登校した日はさ、もうなんか、どう登校すればよいかぜんぜんわからなくて外にすら出られなかったんだけど。しばらくしていると「ピンポン!」って家のチャイムが鳴り親がそれに出ると、集団登校グループたちでぇ。それで、みんなといっしょに学校へ行けたんだよね。

ちょうどそのグループのひとりが小6のおんなじクラスで。なので、それから友人になって。当時から、彼にはいろいろ救われた。

平成29年4月7日


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