「学ぶ」とは何か?(『素敵じゃないか』ver.)
ぼくがこのじぶんのブログのなかで、
「学びたい」とか言ってみても、
「学ぶ」とは何か? について、
じつはあんまりわかっていない。
「学ぶ」って、たとえば、
テキストや参考書で記されている
語句や知識を覚える、
だけにとどまらない、とは思っている。
けれど、それ以上は、
どういうことがあるのか?
ってゆうのは、うまく言えないの。
「頭が良い」という言い方もあるけれど、
たとえば、テキストの知識を覚えた結果としての
「テストの点数が良い」以外では、
どういう状態が、
「頭が良い」のか、
ぼくには、よくわかってない。
なんでも知っている、とか、
説明が上手い、とか、
頭の回転が早い、とか、
誰も思いつかないアイデアを思いつく、とか、
おもしろい、とか、思いやりがある、とか、
そういう要素があるとも思うけれども。
かと言って、もっと直接的に、
「頭が良い」=「これ」
というのは、あんまりわからないな。
そういえば、
「学ぶ」というのもね、学校で
「学ぶ」ときには、そもそも、
「学ぶ」とは、どういうことか?
というのを、
学校で学んだことはないなあ。
さらにはさ、ぼくはこのごろ、
「あの人は頭が良い。」
みたいなことを思ったことがない。
それは、でも、みんなの頭が悪い、
というのを思っているわけではなくって。
でも、なんだろう、なんでぼくは、
「頭が良い」と思うことがなくなったのか。
このことでちょっと思ったのはね、
「頭が良い」よりも、たとえば、
そういうような人のことを、
「素敵」だと思うようになったのやもしれないな。
「素敵」とは、
頭が良いかどうか、よりも、もっと、
その状態を飛び越えている、というか。
いや、「素敵」ってゆうのも、
どういう状態が「素敵」なのか、さえも、
ぼくには定義できないけれど。
「頭が良い」よりも、
「素敵」のほうが、
なんだか、よいなあ、とも思ったりしながら。
ともすれば、
「学ぶ」とは、つまり、
今の状態よりも
「素敵に成る」ことなのやもしんないか。
みたいなことを思ったのよね。
なんだか、ビーチ・ボーイズの
『素敵じゃないか』を聴きたい気分だ〜。
令和4年2月21日