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ほんとうの考えが分かれば。

「考える」とはどういうことか?
ってゆうのは、けっこう、
じぶんの中で考える。

けれど、いまだに、
「考える」について、
じぶんなりの考えは持てていない。

「考える」について考えるときにね、
ぼくがよくイメージするのが、
吉本隆明さんのおっしゃっていた
「ほんとうの考えと嘘の考え」
のことばのことなのでして。

このことばについて、
以前、ほぼ日刊イトイ新聞にて、
吉本さんと糸井重里さんとの対談の中で、
糸井さんが、あるお話しの流れで
「吉本さんが色紙に一言書くということは」
と訊ねたときに、、

糸井 では、吉本さんが
   色紙に一言書くということは
   ないんでしょうか。

吉本 あのね、えーと、
   宮沢賢治の作品の中にある
   言葉なんですけど。

糸井 あるんですか。

吉本 はい。その言葉を僕なりに、
   仮名遣いまで直しちゃって、
   ということだったら、あります。
   「ほんとうの考えと
    嘘の考えを分けることができたら」
   そこで「、」を打つわけです。

糸井 宮沢賢治の言葉を。

吉本 「、」を打ってからあとに
   「その実験の方法さえ決まれば」
   と、これで終わりなんですよ。
   つまり「わかればどうする」とは
   言わないんです。

   「ほんとうの考えと
    嘘の考えを分けることができたら
    その実験の方法さえ決まれば」

   その言葉は、サインと言われれば、
   書いていました。

(「ほぼ日刊イトイ新聞」2008-07-28『吉本隆明のふたつの目。』第9回より引用です。)

と、吉本さんがおっしゃっていて。

宮沢賢治さんが記したとされる
このことばのについて、
ぼくはでもその意味は、
ぜんぜんわかってないとも存じますが。
なんだか、ことばの響きが好きで、
たまに思い出しているのよね。

吉本さんと糸井さんとの対談は、
ここからさらに、、

糸井 「ほんとうの考え」というのは、
   吉本さんがくり返し
   おっしゃる言葉ですね。

吉本 ええ。何度も考えてきましたし、
   また、宮沢賢治という人が
   どういうことをやった人で
   何がどうしてよくて、
   どういう考えのところに感服するかを
   自分で考えてみたりしてきましたが、
   「ほんとうの考えが分かれば」
   という、このことなんです。
   それから、この「実験」って言葉もいいですね。

糸井 「実験の方法さえ決まれば」
   宮沢賢治は、きっと
   「ば」と思ってる最中なんですね。

吉本 宮沢さんは、
   芸術家としても偉いし
   宗教家というか、表現者としても
   偉いなと思うのはやっぱり
   そこらへんです。
   断定したら無理だよ、ってことは
   決してやらないです。

(「ほぼ日刊イトイ新聞」同ページより。)

と、ここまでを読みながら
思い出したのはね、そういえば、
この当時のころ購入いたしました
吉本隆明さんの講演アーカイブ集DVD-ROM
『吉本隆明 五十度の講演』での、
盤面が収められている箇所のところに、
このことばが記されていたなあ。

「ほんとうの考えと
 嘘の考えを分けることができたら
 その実験の方法さえ決まれば」

ということばのことを、
ぼくがまたあらためて、
考えるならば。。。

令和4年2月23日

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