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ひろい世界。

世界はひろい。

つまりはさ、
地球がひろい。

地球のね、
陸もひろいし、
海もひろいし、
空もひろい。

そして、その
空の上にある、
宇宙はもっとひろい。

宇宙というのは、
こんなにもひろいと思っていた
地球が、すっぽり入っても、
全くびくともしないぐらいにひろい。

その宇宙が、
今もなお、どんどん
ひろがりつづけている、
というのも聞いたことあるけれども、
そうなると、もう、
ひろさが想像つかない。

そしてまた、
この宇宙の外は、
どうなっているんか?
って思うときにね、以前、
「宇宙の外には、
 べつの宇宙がある。」
という研究、なのでしょうか? その
くわしいことはぞんじないですが、
そういうお話しを聞いたんだった。

宇宙の外には、
べつの宇宙がある。
ってゆうのを聞いたときにね、
なんだか、もう、
とてつもないひろさを感じて。

いや、ひろい、というのは、
ちょっとちがうかな??? つまりはさ、
「宇宙がどんどんひろがっている」
というイメージでは、まだ
そのひろさにも限界がある、
と感じられていたのが、
「宇宙の外にはべつの宇宙がある」
ともすれば、たとえば、
ひろい、せまい、とかではなくって、
そもそも、はじめから、
まったく限りのない
無限大の空間がそこにあって、
その空間の中で、
宇宙が生まれたり、もしくは、
宇宙が死んだりしてゆく。

宇宙のはじまりとされる
「ビッグバン」の時点で、
もうすでにその場所には、
無限大の空間があった?!

そんなふうにイメージしてみると、
ちょっと、もう、なんだか、
この世界とは、
壁も、垣根も、はじっこも、すみっこも、
なんもない空間だったんだ。
と思いながら、
世界には、限界が無い。
って感じたのよね。

はたまた、
ぼくの「部屋」というのは、
地球や宇宙や世界と比べれば、
とってもせまい。
とってもせまいんだけれども、
ぼくのすべてがそこにある、って考えれば、
ぼく自身としては、
ぼくの部屋とは、
ぼくの宇宙であり、かつ、
ぼくの世界である。

外に出て、
歩きながら、もしくは、ドライブしながら、
あらゆる家々を眺めれば、
あの家にも、この家にも、どの家にも、
「部屋」があって、
その部屋とは、つまり、
その人の世界なんだ。

と、そう考えてみれば、
地球のひろさとは、
面積的なことだけに限らず、
その人おのおのの世界のひろさ、つまり、
精神的なひろさも、
プラスされているんだなあ、
って、思ったりもする〜。

令和4年12月30日


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