其の十三 見事
《2008年7月19日・昭和女子大学人見記念講堂にて開催されました吉本隆明さんの講演『芸術言語論 −沈黙から芸術まで』を、ぼくが毎回ほんのちょっとずつ聴いてゆきながら、あらためてどんなおはなしだったのかを思いかえしてまいります。》
どーも。こんにちはっ!!
前回noteではさ、えーと、なんだっけ?! あー、と。たとえば野原にりんごの木が生えてたとして、その木にみのるりんごを食べたい、って思ったときの「りんご1個の価値」は、どう考えたらよいのか? ていう問題から、さらにもうすこし詳しい説明を吉本隆明さんがなさったばめんでした。たしか、そうでした。。。
ほんじつは、そのつづきだよーん。
で、これこそが要するに。あの。えー、なんて言いますか。スミスが考えた労働価値説の、ひじょうに根本的な、で、やさしい説明なわけで。(チャプター04 / 古典経済学から芸術言語論へ_11:09〜)
これこそがアダム・スミスの考えた「労働価値説」の、根本的で、かつ、やさしい説明で。
これは、あの。もちろんはじめて、経済学なるものは僕とおんなじようにそういう経済学なんてのははじめて、はじめて、なんか世界を把握する方法として使える。って言うふうに考えた素人の人でも。
素人のひとも。。
あるいは、専門家の人でも、やはり「ふぅーん」と驚く、やっぱり驚かなきゃあウソだと思いますけど。
専門家のひとも。。。
つまり、これだけやさしくて。で、これだけ、いろいろなことを考えさせられる考えかたなんですけど。
あっ! なるほど。「いろいろなことを考えさせられる」とおっしゃるのは、なんだかその感じ、なんとなくちょっとわかるかもしれない。ぼくはまだ整理できてなくってうまくは言えないんだけれども。いろいろに考えても、よい、っていうことならば、なんだか安心する。考えたい〜。
あの、これだけやさしい言葉で、これだけうまい説明のしかたをする。できる。っていうことは、この人は相当、相当、あの、経済学者として相当すぐれた人だ。って言うことは、だいたい専門家の人は、そういうに考えられると思います。
これだけやさしくてうまい説明ができる、ということは、アダム・スミスは経済学者としてそうとうにすぐれたひと。
つまり、それだけ見事な考えかたを、まずスミスはやったわけです。
‥‥と、そーいえばさ。吉本さんがここでおっしゃる「見事」ということばってば、さいきん「ほぼ日」で糸井重里さんが対談で使われることがたびたびあって。なんか、かっこいいなぁって思ってたのよねぇ。ぼくは、なかなかあんまり「見事」っていうことばは、言えないし、つかえない。
ぼくが言うには、まだ、身の丈が合っていないような気がするー。つかえるように成りたいっ!!
んでは、この講演つづきは次回noteで聞きます。虫のこえが、だんだん夜も昼も聞こえてくるようになってきた。。
平成28年8月27日
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