20191017空

リッシンベン調査団は探し当てる。

ここ数か月の毎月13日にはさ、
どういう理由で始めたかはあんまり憶えていないのですが、
一か月のあいだで見つけてきた
「りっしんべん」の漢字をブログでしるす、というのを
やっておりまして。

さいきんなんだかタイミングが合わなくって、
今月はきょう、しるそうと思うんですが。

でもね、じつは、
さすがにもう何か月もやっているからなのか、
あんまり「りっしんべん」の漢字、見つかんない。

たとえばで申しあげますと、
以前にも挙げていると思われる【戦慄】という熟語の
【慄】の訓読みが、
【慄く】で「おののく」と読む。とか。

また、
これも以前に挙げていると思われる【遺憾】という熟語の
【憾】の訓読みが、
【憾み】で「うらみ」と読む。とか。

そういうような、
「別の読み方」系しか見つからなくって。

このごろになってすこしだけ、たとえば、
【悲愴(ひそう)】やら、
【恰好(かっこう)】ってゆう熟語を探せたの。

とくに後者の【恰好】というのはさ、
「りっしんべん」の漢字は
けっこうおどろおどろしい感じの漢字が多いので。
【恰好】って見ると、どこかホッとするぅ。

そしてまた、今ぼくが読んでおります
是枝裕和さんの著書『希林さんといっしょに。』では、
樹木希林さんと是枝さんのとある対談のなかで希林さんが
【慙愧】ということばをおっしゃっていて。

 そういう意味で私は是枝さんと出会えたことをありがたいと思うのね。出会う前に撮った『東京タワー 〜オカンとボクと、時々、オトン〜』という作品に対しては慙愧(ざんき)に堪えないというか、美術もあんなにみんな頑張ってやったのにもったいなかったという想いがずっとどこかにあったんです。私は無知なんですよ、無知。映画というものを知らない。
(是枝裕和さん著『希林さんといっしょに。』47頁より引用です。)

希林さんのおっしゃるこの【慙愧】とは、
精選版日本国語大辞典によれば、、

ざん-き【慙愧・慚愧】 (古くは「ざんぎ」。元は仏語で、「慙」はみずからはじること。「愧」は人に向かってこれをあらわすこと) 1. いろいろと自分のことを反省して心からはずかしく思うこと。恥じ入ること。また、恐縮すること。 2. 悪口を言うこと。

‥‥という意味とのことでして。

このことば、ぼくは存じなかったですが。
いやはや、「りっしんべん」に「鬼」、
という漢字まであったのねぇー。

こんなふうにしながら、
「りっしんべん」の漢字を探すときにゃあ、
ネットで検索はせず、読んでいる本の文章のなかで
見かけた漢字をピックアップする感じですので、
もう、なかなか見つかっていないけれども。たとえば、
ほんのひとつぶの砂金を探し当てる、みたいな感覚でねぇ、
やってゆきたいとはぞんじまする〜。

「りっしんべん」の旅はまだまだつづく。。。

令和元年10月17日


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