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更新という希望。

ぼくは、SNSって、
このnote以外では、
アカウントを持つだけの、見る、つまりはさ、
受信する、として利用しているですが。
それでもなんだか、時間があれば、
ツイッターやインスタグラムを開いてしまうな。

そこでは、よくも、わるくも、
いろいろな情報をね、
見たり、知ったり、できる、
というのもあると思うんですが。
毎回、毎回、SNSの画面を開くたびに、
景色が変わる。とゆうか。
情報が、更新されているから、
見たくなってしまうのやもしれないなあー。

更新、とは、
魅力的、というか。
すごい、というか、
生きている感じ、というか、
生命力を感じる、というか、
ほとばしる力、のように感じられる。

たとえば、さくじつのブログでは、
大好きなバンドさんやミュージシャンさんの方々の
新曲の情報が届くと、うれしくって、
わくわくする気持ちになる。
ってゆうのを書いたですが。たとえば、
「新曲」というのも、つまりは、
「更新」なのではないか。とも考えたりして。

新曲によって、新たに
更新されてゆくその道を、
たどるかのようにして、
フォローするかのようにして、
音楽を聴いてゆくのも、
ありがたいことだなあ。と思われる。

たとえば、
名曲、というのも不思議なもので。
その曲が、長年と歌われたり、
誰かによって歌い継がれることによって、
曲の輝きが増してゆく。
みたいなこともあって。
そう考えてみれば、なんだか、
うまく言えないけれども、
「更新」というのは、
希望のひとつのようにも感じる。

日々は更新されながら、
生命も更新されながら、
時代が更新されながら、
空の景色も更新されながら、
このブログも更新しながら、
世界は今日もまわってゆく〜。

令和3年10月19日