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考えの海のなかでたゆたうように。

ちょっとつかれたなあ、ってゆうときには
ベッドで横になってぼんやりしてみたり、
ときにはそこでお昼寝のごとく眠る。
そうしてしばらくすると、すこしだけ
つかれもとれたような感じになってきていて、
そろそろと身体をベッドから起こす。

そういうような、この
ベッドで横になってぼんやりしているときにはね、
スマホをながめたりする場合もあれども、
つかれの状態がけっこうつよいときには、
スマホの画面も見られず、
ただただ、ぼけーっとする。
でも、そんなぼけーっとしている時間のときでも
退屈じゃあないと言えば退屈じゃあない。
頭のなかで、ぼんやりと
考えごとをしているから。

考えごととは言ってみても、たとえば
ある問題についてしっかり考察しながら
答えをはっきり出して解決をさせてゆく、
というような「考える」ではなくって、
どちらかと言えば「悩む」に近いとも思うけれども。
もうすこし詳しく言おうとするならば、
考えの海のなかでたゆたう、
というイメージなのかなあ。
今のこと、つまり、
今、思っていること、もしくは
今、思いわずらっているようなこと、そして、
過去、思っていたこと、
過去、思いわずらっていたこと、などなどが
夢を見ているみたいにして、
あっちに行ったりこっちに行ったりしながら、
頭の片隅で考えめぐらせるかのごとく。

そのときにね、この
ブログで今度何を書こうかなあ?
ってえのを思いつくときもあるし、また、
悩みごとが解決はしなかったとしても
どことなくちょっとだけ整理されてきて、
ほんのちょっぴりすっきりする、みたいな場合もあって、
ぼくとしては大事な時間でもあるけれども。
でも、その時間というのはぜんぜん
合理的じゃあない、と申しますか、つまり
生産的でも無いんだから、ある意味では
意味の無い無駄な時間だとも言える。

「下手の考え休むに似たり」
ということばもあって、つまり、
下手に考えるというのは
休んでいることと同じである、として、
下手に考えるのは良くない、
という意味なのだとは思うけど。
ぼくの場合はね、その逆に、
休んでいるときに考えている。
それは、いわば、
下手に休みながら、
下手に考えている、
というふうにも解釈できると思うけれど、
それはそれで、ぼくのなかでは
大切な時間だよ、と、思えたい。

夜、眠れないようなときでもね、
頭のなかでは考えごとがはかどっていて、
今日の夜は考える日かぁ〜!
って思いながら、眠れない夜を過ごしつつ
いつのまにやら就寝している、
というパターンのときもある。

頭のなかで考え込んでしまうたちのぼくは、
そういうふうにしか生きられないんだなあ、
ってえのも思うよ。

令和6年6月9日


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