表紙14

其の五 どうすればこれから

《2008年7月19日・昭和女子大学人見記念講堂にて開催されました吉本隆明さんの講演『芸術言語論 −沈黙から芸術まで』を、ぼくが毎回ほんのちょっとずつ聴いてゆきながら、あらためてどんなおはなしだったのかを思いかえしてまいります。》

どうもー、こんにちは〜。

前回noteでは、吉本さんが敗戦直後「わたしは世界を知る方法というのをすこしも考えたことがなかった。」と思われ、そこから「世界を知るにはどうしたらいいのか?」という勉強を5、6年懸命になってつづけた。の場面でした。

では、このつづきです。。。

で、そのときがいちばん。まあ、なまけ者の僕には、僕がいちばん勉強したときで。あの、いちばんものを考えたときで。(チャプター03 / 敗戦の衝撃_7:58〜)

「その5、6年は、いちばんものを考えたときで。」そのように吉本さんおっしゃるのは、もうほんとうにどれだけな勉強量だったのだろう、と思って、おののく。

そして、

それで、これ、これが。これがわかんなければ、おれはもう生きてる甲斐がないじゃないか、って言うくらいの思い込みでしたから。あの。非常にまじめに熱心にそういうことを勉強し考えていく、っていうことを5、6年やったと思います。

「これがわかんなければ、おれはもう生きてる甲斐がないじゃないか。」ということばをうかがって、これ、でもなんかじぶんが恥ずかしい…。なんて言うか、いまさらに成ってなんだけれど、できるかぎりそーいう気持ちでこの吉本さんの講演を聞きたい。とおもったの。

で、5、6年やってるうちに、だいたい、道‥‥。すこし自分のどう、どうすればこれから生きていけるのか? って言う、これは自分自身の問題ですから。あの、そういうことが、おぼろげながらわかるようになった。というふうに考えております。

自分自身の、道‥‥。

で、この自分の持っていた文学的素養、って言うか、そういうものと。それから、その敗戦後のそういう世界、世界を知る。っていう。世界を知る、ってのは、どういうふうにすればいいのか? っていう問題とを結び合わせれば、

じぶんの持っていた「素養」と、その後で考えることになった「問題」とを「結び合わす」ことで、、、

おれは、すこしこれから生きていけるかなぁ。って言う、そういう感じがすこし出てきた。ということになると思います。

‥‥と言うようにおっしゃるこんかいはここまで〜。「チャプター03」が終わりましたので、次回よりつぎのチャプターへ進んでまいります。どーにか、ちゃんと、わかりたい。

平成28年8月19日



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