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大学の「図書館」の隠し部屋。

このごろはさ、先日読み終えました
内田樹さん著『複雑化の教育論』を読みながら、
教育のこと、そして、ぼく自身の
大学生のときのことを考えていた。

『複雑化の教育論』の冒頭では、「学びの場」として、
大学の「校舎」のことが書かれていて。
内田さんが勤めておられた神戸女学院の校舎は、
ウィリアム・メレル・ヴォーリズという建築家の設計で、
この校舎とは、配慮と、居心地のよさと、
ミステリアスさが兼ね備えているような、
そんな校舎で過ごすことが、
学びの第一条件である、と、つまり、
「校舎が人を作る」と内田先生はおっしゃいます。

大学の「校舎」について、
ぼくが通っていた大学では、どうだったかなあ?
と思い出すと、ぼくの母校の大学は、
学部・学科がたくさんあるような総合大学ではないので、
広いキャンパスではなかったけれど。
でも、たとえば、
高校のときまでの学校の校舎とは違って、
大教室がある校舎や、研究棟や、実験棟や、
事務室、学食、よくわからん建物、などなど、
いろいろな施設があった。

それらの校舎の中でも、
ぼくがいちばん好きだったのは、
「図書館」だなあ。

内田樹さんの『複雑化の教育論』では、
ヴォーリズ設計の神戸女学院の校舎には、
あらゆるところに隠し部屋のような場所があって。
校舎を探検しながら、その場所を発見することが、
「学び」を起動させる。とのように書かれているですが。
ぼくの母校の「図書館」の建築は、
ある意味ではふつうの図書館だとは存じますが、
たしか、廊下にね、なんだか、
あんまり主張しないようなドアがあって。
そのドアを開けると階段があり、
この階段を昇り、そして、廊下を進んでゆくと、
学生が勉強できるデスクがずらっと置いてある
部屋へたどりつく。

あるときにね、この部屋を
友人たちと発見してから、テスト前とかはよく、
このデスクの部屋に行っていた。

この部屋の入り口となるドアってえのは、
うえでも書いたけれど、
あんまり主張しないようなドアだったから、
その部屋で勉強していても、
ほとんど人は入ってこなくって。なので、
じぶんたちの秘密部屋みたいな雰囲気があって、
けっこう、好きだったなあ。

このデスク部屋を発見したときはさ、
ドアを開けてから、
この先には何があるんだろう?!
って進んでゆくのは、どきどきしながら、
なんだか、わくわくするような、
そんな感覚を思ったことを思い出すのよね。

つまりはさ、そのときの「好奇心」の感覚って、
約20年経った今でも、
じぶんの身体の中に残っている、というか。
あのときの感覚を、思い出しながら、
今後だっても学んでゆきたいんだぜ!

令和4年2月20日


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