「無言館」の思い出。
以前、ある夏の時期に、
家族旅行で軽井沢へとまいりまして。
その道中ではすこし寄り道をしながら、
上田市の「無言館」を訪れました。
「無言館」は、太平洋戦争で戦没された
画学生の美術作品が展示される美術館で、
ぼくは、このとき初めて訪れたのですが。
展示されている作品を鑑賞しながら感じました、
痛ましさ、と申しますか、
悲しさ、と申しますか、
静けさ、と申しますか、
の感覚は、なんだか、
いまでも憶えているなあ。
いま思い出して考えてみると、
なんと申しあげますか、
作品が描かれた経緯は、作品それぞれ、
そして、制作された方々おのおの、
あるかとはぞんじますが、たとえば、
体温と言うのか、息づかいと言うのか、
絵が描かれたときの筆の動き、
みたいなものが強く感じられる。と申しますか。
それはつまり、この作品が、
戦争で亡くなられた学生の方が描かれた、
ということを知りながら鑑賞しているから、
そう感じたのやもしれないけれども。でも、
そのほかの美術の展覧会で感じるものとは、
どことなくちがう感覚を想ったんだった。
当時、ぼくは専門学校で、
グラフィックデザインを学んでいたのですが。
その夏休みが明け、また学校が始まって、
ある先生(大島先生)から、たしか、
なにかの資料を借りるということで、
先生のもとを訪れまして。そうすると、
その資料ともうひとつ、本を貸すね、
とおっしゃられて、渡された紙袋の中身を拝見すると
「無言館」の作品集なのだった。
そうして、先生には、
「じつは、ぼくも夏休みに無言館に行きまして、
おんなじ作品集を購入しまして。」
と伝えて、ありがたく、申し訳なく、
その作品集は借りなかったのですが。
よくよく考えてみれば、
数ある資料の中でも、その時期に、
その作品集を選ばれる、というような、
そんな偶然ある?! と思ったんだった。
先生は、どのようなお気持ちで、この
「無言館」の作品集を選ばれたんだろうか。
もう15年ぐらい前のことになるけれど、
なんだか、ふと、
このことを思い出したのよねー。
令和3年11月27日