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第14回 最後の晩餐(パート3)
【『喩としての聖書−マルコ伝』という吉本隆明さんの講演を、ゆっくりすこしずつ聴く的なシリーズやってます。ほんじつ、第14回めっ。前回noteはこちらです〜。】
こんにちは! では、聴くです。よしもとさんのこうえんです。
昨日の回では、十字架に架けられたイエスを見るため集まった群衆のなかにイエスの弟子・ペテロが居るのを、大祭司の端女(はしため)が見つけて。端女が「おまえはナザレのイエスにいつもくっついていた人じゃないか?!」とペテロへ問えば、、、
いや、そうじゃない、私は知らない、あの人を知らない。って言うわけです。(チャプター4 / 聖書の思想のいちばん大切なこと_7:39)
「いや、わたしはあのひと(イエス)のことは知らない。」とペテロは言う。
で、結局、そうじゃないと。おまえは確かにあのイエスにくっついていた人だ。つまり、イエスの弟子にちがいない。そうすると、
しかし、端女は「いや、おまえは確かに、あのイエスの弟子にちがいない!」とさらに問い詰めた。すると、、、
いや、そうじゃない、自分は知らない、あの人は知らない。それから、違う言い方もします。「マルコ伝」だと「われ汝(なんじ)らの言うその人を知らず。」 つまり「その人を知らず」っていうことを3回ずつ、3度否定するわけです。
ペテロは「いや、そうじゃない、自分は知らない、あの人は知らない。」と3度否定した。あ、これって。。
それで、3度否定して。ペテロは、イエスがその前に「私を3度否(いな)むだろう。否定するだろう。」っていうふうに予言したのと同じように、3度、自分はひとりでに「あの人と私は関係ない。」って言ってしまった自分っていうものに、
というペテロは、イエスの予言通りに3度、ひとりでに「あの人とは関係ない。」と言っちゃった自分に対して、
ほぞを噛む思いをして、いたく泣いた。っていうふうに「マルコ伝」のなかには書かれています。
‥‥ていう「ほぞを噛む」とは辞書でひきますと、「ほぞ」は漢字で「臍」と書き、「おへそ」の意味。この「ほぞを噛む」は「後悔する」の意味でありやす。おれは、恥ずかしながらよく知らなんだ‥‥
ペテロはほぞを噛む思いをして。いたく、つまり、はなはだしく、ものすごく泣いた。というのが「マルコ伝」に描かれている。
つまり、これもまた誠に見事な洞察なんです。
これもまた誠に見事な洞察だと吉本隆明さんおっしゃいます。では、それではねぇ、このつづきはまた次回noteでー。よい1にちを。。。
2016年6月22日
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