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「がんばる」ということばについて。(「健闘を祈る」篇)

「がんばる」ということばは、
ぼくは、案外、きらいじゃあなくって、
日常的でも使ってはいるんだけれども。

でも、たとえば、漢字で記すと
「頑張る」になるけど、つまり、
かたくなに張る」というのが、
ちょっと強硬的、というか、
頑固さや堅さみたいなことも感じられたり。
もしくはね、たとえば、
こころのやまいをわずらわれている方には、
「がんばれ!」とは言ってはいけない、などなど、
使い方のむつかしいことばのひとつではあるなあ、
と思っている。

このうえのところでね、ぼくは案外、
「がんばる」ということばはきらいじゃあなくて、
日常的で使っている、と記したですが、
どういうときに使うか、と言えば、やっぱり、
じぶん自身が困難な状況にあるようなときに、
じぶん自身に対して
「おれ、がんばれ。」
って想う、という場面が多いかな。

そして、他人に対して
「がんばって!」と言うときは、ぼくの場合ですと
ぼくが学習塾講師として勤めている
塾の教室の中なんだなあ。つまりはさ、たとえば、
試験の前日の生徒さんに対しては、
「あした、がんばってね。」とか、
あるむつかしい問題に取り組んでいる生徒さんには、
「わかる? がんばって!」とか、
そもそもを言えば、もう、いつのときでも
「はい、がんばってください〜。」
というように、勉強をしよう、的に、
けしかけるようにして言っている。

でも、それはね、
「けしかける」と言ってしまえば
ことばがわるいんだけれども、そういうような
「がんばって!」とは言えども、
相手を否定する意味合いではない、というか、
いわば、そのことばしか見当たらないので、
そう言う、というか、
そこに深い意味はない、というか、つまり、
あいさつ的、というか。もしかしたら、
そう言われることによって、
プレッシャーを感じてしまわれる生徒さんも
おられるやもしらないけれども、
でも、その「がんばる」とは、言い換えれば
「健闘を祈る」みたいなことやもしらないか。

つまりはさ、
勉強をするために来ている、という
「塾」という枠組みがあるからこそ、
普段的に言えることばなんだろう、
とも考えるのよね。

ぼくとしてはね、だれかから
「がんばれ!」と言われるのも、
けっこう、うれしかったりする。
とくにはさ、大好きな人から言われれば、
とっても励まされるし、さらにもっと
がんばれそうな気もしてくる。

とは言えども、これまにでは、そう言われて
ちょっといやだなあ、
って感じたこともある。また、逆に、
「がんばらなくてもいいよ。」
って言われたときには、
(いや、おれは、がんばりたいし。)
と思ってしまったこともある。
そう考えてみれば、やはり、
「がんばる」ということばは、その使い方とは
微妙なところがあるんだろうなあ。

ともすれば、なんと言うのかなあ、
「がんばる」か、
「がんばらない」か、とは、
だれかに言われて決めることではなくって、
じぶんで考えて決めることなんだろう。
そして、もしくは、
健闘を祈りたい!!!

令和5年2月22日


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