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考えるも、休むも、悩むも、ぼーっとするも。

「下手の長考、休むに似たり」ということばを、
聞いたことがあるけれども。
考えているときも、休んでいるときも、
悩んでいるときも、ぼーっとしているときも、
はたから見れば、その姿は、
おんなじようなものかもしれないな。

そんなような、
考えるも、休むも、悩むも、ぼーっとするも、
頭の中では、なにかしら、思っていて。
その、なにかしらを思いながらの、
考えたさきには、休んださきには、
悩んださきには、ぼーっとしたさきには、
たぶん、どこかには、たどりつく。

たとえば、
「わかった」とか、
「わからなかった」とか、
「わかりそうになった」とか、
「わかりそうになったけど、やっぱり、わからない」とか、
「わからないことが、より、ふえた」とか、
「わからない、ということが、わかった」とか、
「じぶんひとりだけでは、わからない、ということが、
 わかった」とか、だから、
「この人に聞けばわかるかもしれない」とか、
「この本を読めばわかるかもしれない」とか、
「この場所に行けばよいかもしれない」とか、
「わからなくても、よい、ということが、わかった」とか、
「もっと、考えてみたい」とか、
「もっと、悩んでたい」とか、
「もっと、休みたい」とか、
「休んだおかげで、つかれがとれた」とか、
「ぼーっとするのにも、飽きてきた」とか、のような、
局面が変わるときが来るやもしれないか。

つまりはさ、これまで、
ぼんやりとしか見えていなかった
そびえたつ「壁」の、
手前までたどりついた。的な。

そこまでたどりついたならば、また、いろいろ、
その壁を越える、とか、
その壁をよじのぼる、とか、
その壁を壊す、とか、
その壁を超能力的に壁抜けして通過する、とか、
その壁の下を掘る、とか、
その壁に穴を開ける、とか、
その壁にドアを取りつける、とか、
その壁を叩いてみる、とか、
その壁の材質を調査する、とか、
その壁がどうしてここにあるかを考察する、とか、
その壁に落書きする、とか、
その壁にポスターを貼る、とか、
その壁にもたれて、寝る、とか、
いくつものあたらしい方法があるんだろう。

考えたって、休んだって、
悩んだって、ぼーっとしたって、
なにかが「わかる」ときもあれば、
なんにも「わからない」ときもあって、
それはそれでいいんじゃあなーい?????

令和3年8月25日


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