1995年のJシーンと、じぶんの無知さ。
このごろは、
ASIAN KUNG-FU GENERATIONの後藤正文さんが
ゲスト出演されたのをきっかけで知りました、
三原勇希さん×田中宗一郎さんがホストをされる
「POP LIFE: The Podcast」というポッドキャスト番組をね、
すこしずつ、聴いているのですが。
4月23日公開の「第157回&第158回」では、
「1995年の音楽」についてお話しされていて。
1995年と言えば、ぼくは、
中学1年生→2年生なのですが。
ぼく個人のことで言えば、当時はさ、
CDラジカセを買ってもらって、
いろいろ、音楽を聴き始めるようになったころで。
でも、この回の「POP LIFE」のお話しを聴きながら、
じぶんは、せまい世界を生きていた、というか、
今もなお、せまい世界に生きている、というか、
そんなふうに思って。つまりは、
当時って、雑誌やテレビのCD売り上げランキングや、
音楽バラエティ番組で演奏される曲を聴く、みたいな、
ぼくには音楽を知る方法がそれしかなくて。
それはそれで、ぼくは、とってもたのしんで、
音楽を聴いていたのですが。
えーと、うまく言えないんですが、
ある意味では、もっと、外の世界へと目を向ける、
みたいなことは、到底、思うことはできなくって。
そういうのって、その後も、
もしかしたら今だってもなお、
じぶんはそういう状態にあるのやもしれん。と。
さくじつのnoteでは、戦争について、
ぼく自身の「無知さ」みたいなことも
すこし書いたのですが。
そんなような、じぶんの「無知さ」というのが、
コンプレックスのようにまとわりつきながら、
でも、そんな「無知さ」から脱却できる方法が、
いまだにわかってない。
「POP LIFE/第158回」の終盤では、
タナソーさんが、三原さんに
「今のほうが全然良いですよ、Jシーンが。」
とおっしゃっていて。
ぼく個人の感覚としては、当時、
CDランキングやバラエティ番組を見ながら
音楽をたのしんでいた、その、横のどこかでは、
その世界に馴染めない人だっても、
そこに居場所を見出せないような人だっても、
おそらく、クラスメイトでも居たはずで。
そう言ってみると、ぼくは00年代半ばごろに、
はやりの音楽をあんまり聴けなくなって。
でもそのときはさ、HDDで音楽を保存・再生できる
ポータブルプレーヤーが登場しだして、
それで、好きな音楽だけを聴いていた、
みたいなときがあったけれども、
95年ごろには、そういう機器もなくって。
現在では、その、もっと、さらに、
YouTubeやSpotifyやサブスクリプションで
あらゆる世界が開かれているから、
じぶん自身の馴染めそうな居場所にも、
アクセスできやすい。
そういう意味で考えると、タナソーさんのおっしゃる
「今のほうが全然良いですよ。」
ということなのかなあー。
いや、なんか、ぜんぜん、
話しがまとまってないんですが、
そんなことを思いました〜。
95年ごろって、でも、ぼくは、
音楽バラエティ番組の今週のゲストは誰で、
誰が今週のランキングの一位になるか?!
というのに、夢中になっていたし、
それは、それで、やっぱり、たのしかったな。
時には起こせよムーヴメント!!!
令和3年8月22日