見出し画像

完璧な教育。

完璧な教育、というのは、
ないのかもしれない。

どんな子供でも、
どんな生徒でも、
たちまちに成長させてしまうような
スーパー先生はおられるやもしれないけれども。
すべての先生が、そのような
スーパー先生であらねばならない。
というのは、むつかしいのかもしらない。

完璧な教育は、ない。ともすれば、
制度としての教育には、
ぜったいに、どこかに、瑕疵はあって。
その瑕疵の部分を見ながら
非難しても、しょうがない。

教育のことを考えるときには、
「完璧な教育」は存在しない。
って、あきらめるほか、
ないのかもしれない。

ただ、
完璧な教育じゃあなくとも、
学ぶことは、できる。
このことは、ある意味では
教育の希望なのやもしれないな。

完璧な教育を、つまりはさ、
100パーセントの教育を求めるよりも、
今ある分の教育の中で、どれだけ
学びのパフォーマンスを上げられるか?!
そのことを考えることのほうが、
懸命なのやもしらない。
みたいなことはねえ、ぼく自身の
10代20代のころの反省を込めながら、思うの。

村上春樹さんのある小説では、
「完璧な文章などといったものは存在しない。
 完璧な絶望が存在しないようにね。」
と言われているのですが。
そのことばになぞらえるならば、たとえば、
完璧な教育などといったものは存在しない。
完璧な人生が存在しないように。
的なことかもしんないなー。

風の歌は、聴こえるか。。。

令和3年4月26日


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?