表紙17

其の七十一 蟹工船とロックとヘンリー・ミラー

《吉本隆明さんの講演『芸術言語論 −沈黙から芸術まで』(平成20年7月19日@昭和女子大学人見記念講堂)を、ぼくが毎回ほんのちょっとずつ聞いてゆきながら、あらためてどんなおはなしだったのかを思いかえしてまいります。》

なんてったって、こんにちは。こうえんを、きく、きく。

前回noteでは、「純文学で非常に奥の深くて同時に筋も面白いよっていう、『カラマーゾフの兄弟』をどこで読んでいるんだ? と訊ねてみれば、一概にどうだって、一概に言うのはおかしいんだよ、っていう。そういうことはすぐにわかります。その論議自体は、ほんとうは意味をなさないですよ。」と吉本さんおっしゃるばめんでした。

つづきをー!!!

これは、えー。じゃあ、『蟹工船』っていうのはよく読まれてて、いま売れてると。これも、そうやって。これは、何があれか、って言えば。要するに、(チャプター11 / 芸術の価値_15:35〜)

「じゃあ、小林多喜二の『蟹工船』がよく読まれていて、これは何があれなのか?! と言えば、」

これは、物語の起伏、指示表出と言いますか。その面が、興味を…、興味深い。あるいは、身につまされるっていう面があるから、売れる。よく出るんだ。っていうふうに。これは、解釈しやすいことで言えばそうなります。

「物語の起伏である指示表出のところが興味ぶかかったり、または、身につまされる面があるからよく読まれている。っていう。」

現在の言葉で言えば、まあ、えー、どう言いましょう。えー。ロックとか、なんだろう。つまり、

「そして、現在のことばで言えばたとえばロックというのは、」

まあ要するに、中間…。アメリカで、アメリカの黒人社会と、アメリカのかつてのヨーロッパからの移民と、そういう人たちの文化的混合から生まれ出した中間的な音楽芸術っていうのは、いま日本でも盛んですけど。アメリカでも盛んですけど。

「アメリカの黒人社会とヨーロッパからの移民との文化的混合から生まれた中間的な音楽で。それらは、いま、日本でもアメリカでもさかんですけど。」

そういうものが。あの、えー。そういうものと、それから。アメリカの、何と言いますか、アメリカの純文学はおかしいですけど。まあ、僕らのすこし一所懸命読んだあれで言えば、

「そういうものと。それから、ぼくらが読んだ小説で言うならば、」

ヘンリー・ミラーみたいなそういう作家の。まあ要するに日本で言えば、かつて一世代ないし二世代まえの純文学ですよ。つまり、どこでも通用する純文学ですけど。

ヘンリー・ミラーのような作家の作品、つまりどこでも通用する純文学ですけれども。」

これに該当するものっていうのは、いま、いま少し思潮を変えております。

「これらに該当するもの、というのは、いますこし思潮を変えております。」

‥‥の、ここでの「思潮」ということばの意味は「その時代の人人が一般にいだく思想。思想の流れ。」(@岩波国語辞典 第三版)だそうです。つまり、文学や小説や音楽などの芸術のかんがえが、現在ちょっとずつ変わってきている。ていうことですかのー。

んじゃ、このつづきは次回noteでききます。こんしゅーも、がんばってこー!!!

平成28年10月24日



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